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    <title>泉麻人 【東京ふつうの喫茶店】</title>
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    <updated>2012-01-13T07:28:04Z</updated>
    
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    <title>ナルセ（南長崎）</title>
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    <published>2012-01-15T20:05:33Z</published>
    <updated>2012-01-13T07:28:04Z</updated>

    <summary>トキワ荘の町の雁之助マスター</summary>
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        <name>平凡社</name>
        
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        <![CDATA[<p>　大江戸線の落合南長崎は僕の生家から近い。もとの家の所にいまも弟が住んでいるので、時折やってくるのだが、駅の案内板に「トキワ荘記念碑」の表示を見つけて、へーっと思った。トキワ荘の名は、手塚治虫や藤子不二雄らが暮らした漫画家の巣窟として多くの人に知られているが、ポピュラーになったのはごく最近のことで、僕が生家にいた当時はほとんどその場所を知る者はいなかった。<br />
　目白通りの裏っ方をずっと練馬の方まで続く清戸道とか千川通りとか呼ばれていた道に、いまは「トキワ荘通り」の看板が掲げられ、路地をちょっと折れた所にかつてトキワ荘が存在した。そこは何かの出版社のオフィスになっているが、ほど近い公園に記念碑や解説板が置かれている。トキワ荘が活況を呈したのは昭和30年代前半、手塚治虫、藤子不二雄、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、寺田ヒロオ......ここを根城にしたそうそうたる面々の名が列記され、ゆかりの場所を記した地図まで掲示されている。目白映画――漫画家たちが通った映画館、菊香堂――藤子不二雄がよくパンを買った菓子屋......この辺は僕が子供の頃にゴジラ映画を観たり、ケーキを買ったりした行きつけの場所でもあり、実に懐かしい。<br />
　昔ながらのマーケットや豆腐屋、魚屋が軒を並べる、裏町じみた商店街を歩いていくと、やがて目白通りとの辻に行きあたる。二又の角に交番が建っているので、ここは俗に二又交番と呼ばれていた。<br />
　そんな二又交番の目白通り側の並びに「菜る瀬」という料理屋がある。生家跡に暮らす弟と会うときにしばしば酒食を愉しむ店である。芦屋雁之助に似たオヤジと和服が似合う美人の奥さん、その息子さんとでやっている小体の店で、オヤジが知り合いの漁師や畜産家からじきじきに仕込む、魚に肉料理、どれも申し分なく旨い。<br />
　そっちの料理の方はともかくとして、名物オヤジが店の並びに喫茶店を開いた......と聞いてやってきたのだ。<br />
　料理屋の２軒隣り、ひと頃までスナックが入っていた所に〈Coffee&Juice Naruse〉とシャレたヨコモジを記した赤い幌看板が出ている。入るとカウンターのなかに、オヤジと御夫人が並んでいた。料理屋の割烹着とは違って、赤いハイネックセーターに黒エプロン、というペアルック。オヤジがベレー帽を被っているのがまた可愛らしい。どうやらこれはマダムが考案したユニフォームらしい。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="090naruse.jpg" src="http://webheibon.jp/blues/entry/090naruse.jpg" width="480" height="320" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span></p>

<p>　メニューを眺めると、珈琲の他、生野菜ジュース（無農薬有機野菜）、野菜サラダ、野菜カレー......とヘルシー路線のものが並んでいる。<br />
「カツサンド出すから食べにきてくれよ」<br />
　料理屋でオヤジさんがそんな野望を語っていたはずだが、こちらは肉ヌキの健康志向のコンセプトでまとまったようだ。<br />
　まずは野菜ジュース。これはそんじょそこらの野菜ジュースではない。ケール、ニンジン、リンゴ...などを低回転のミキサーにかけてゆっくりと菜汁を抽出する。<br />
「病院で使っている独特のミキサーでね、通常のが１万2000回転に対してこれは96回転、ゆっくり砕くからカラダにいい酵素が死なねぇんだよ」<br />
　というのがオヤジさんの説。科学的なことはよくわからないけれど、繊維がたっぷり残ったペースト状の野菜ジュースが出来あがった。多くの野菜は埼玉県小川町のファームから直送された新鮮なものなので、舌ざわりのいい甘味が感じられる。その野菜ペーストを使ったカレーもとてもおいしい。<br />
　オヤジがペーパードリップでいれる珈琲はクセのないアメリカンタイプ。<br />
　ところで、冒頭でトキワ荘のことを書いたけれど、「菜る瀬」の常連客も土地柄、講談社や小学館の漫画畑の人が多い。先の"ゆかりの地図"にトキワ荘の漫画家たちが集った「エデン」（目白５丁目交差点に存在した名喫茶）が記されていたが、この喫茶ナルセも漫画人の町の新たな名所になっていって欲しい。<br />
</p>]]>
        
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    <title>どんパ（銀座）</title>
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    <published>2011-12-18T21:40:48Z</published>
    <updated>2011-12-18T04:10:09Z</updated>

    <summary>師走の銀座でニッキコーヒー</summary>
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        <name>平凡社</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://webheibon.jp/blues/">
        <![CDATA[<p>　日本橋の丸善で本を買って、通りの向こう側に渡ると、高島屋の玄関口からクリスマスソングが聞こえてきた。師走の頃になると、日本橋から京橋、銀座へ向かって（あるいは逆方向）歩きたくなる。ぽつぽつと残るクラシックなビルを眺めながら、歳末の感傷的な気分に浸る。京橋の明治屋は相変わらず昔ながらの黄土色の佇まいを見せている。ホッとして、もう一つ先の鍛冶橋通りの交差点まで来ると、おや？　新しいビルの建設工事をやっている。そうか、片倉工業の古いビルがとうとう取り壊されてしまったのだ。〈片倉キャロン〉と看板を出した、気に入っていた建物だったのだが、惜しい。<br />
　本来の京橋の所の首都高をくぐって、銀座に入る。そう、この日の第一の目的は２丁目の伊東屋。以前にもこの時期のエッセーで書いたかもしれないが、師走に差しかかる頃に伊東屋で翌年の手帳を買う――のが定例行事になっている。<br />
〈AT-A-GLANCE〉というアメリカのカレンダー型の手帳をもう30年近く使い続けている。表紙の色が年ごとに多少変わるのだが、2012年版は鮮やかな赤とスカイブルーのものが並んでいた。赤はこれまでにない色だったので、一瞬食指が動いたが、この派手な発色は二日酔いの日などに眺めるのはちょっときつい。結局スカイブルーの方を購入して店を出た。<br />
　時刻はまだ10時半。ランチをとるのには早い。どこか喫茶店でひと休みしようと、３丁目の横道の「どんパ」に入ることにする。並木通りの一本手前のこの筋、ひと頃までコレといった名は付いていなかったはずだが、いまは「レンガ通り」の表示が掲げられている。<br />
　どんパ――水出しコーヒーで有名な店で、80年代頃に何度か入ったおぼえがあるが、先日編集担当のＳさんから「ニッキコーヒーというのがあるんですよ」と勧められた。メニューを見ると、なるほど、ニッキマイルド、ニッキストロング、ニッキウインナー......いくつかのヴァリエーションが用意されている。最初からあまり強いニッキにトライするのもナンなので、ブナンな「マイルド」を注文したところ、これもなかなかニッキの香り、苦味が効いている。<br />
「漢方で健胃剤・矯息剤として用いられるニッキのエキスを自然抽出した......」とチラシにあるけれど、確かに忘年会で荒れた胃がスキッとするような、カラダに良さそうな味がする。昔、上海の町の喫茶店で飲んだ、「鴛鴦（おしどり）茶」とかいう漢方薬をブレンドした珈琲もこんな味だった。<br />
　ところでこの店、てっきり銀座が本店と思っていたら、「銀座支店」と記されている。店長に伺ったところ、74年に六本木で始まった店らしい。<br />
「水（出し）コーヒーの専門店として、六本木のザ・ハンバーガーインの横道、正面にお墓がある、あの辺で先代が開業しまして、この銀座の店は83年からです。ニッキコーヒーも初めの頃からやってたんですよ」<br />
　ちなみに店名の「どんパ」、水出し珈琲に関係した意味でも含まれているのか......と想像したら、「どーんとパァーッとやる」みたいな、先代が思いつきで付けた名前のようだ。<br />
　午前中の店内はまだ客数も少なく、僕の向こう側の席には、グレーのスーツをきちんと着こなした老紳士が２人向かい合っている。小津映画に出てくる中村伸郎に似た男がコイン収集の話をしているが、世代的にみて、東京オリンピックの頃のブームに浸った世代だろうか......。僕はニッキ風味の珈琲を味わいながら、伊東屋で買った手帳を開いて、例年最初にやる作業を始めた。アメリカ製の手帳ゆえ、紙面に日本の祝日が記されていない。オプションでくれる祝日のシールを、１月から順にカレンダーのマス目に貼り付けていくのだ。<br />
　来年はどんな年になるのだろう。今年（2011年）は暗い出来事が多かったこともあって、真新しいカレンダーのページをめくりながら、ひときわ感慨深い気分になった。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="089donpa.jpg" src="http://webheibon.jp/blues/entry/089donpa.jpg" width="480" height="320" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><br />
</p>]]>
        
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    <title>喫茶ゴルゴ（名古屋・露橋）</title>
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    <published>2011-12-04T20:30:12Z</published>
    <updated>2011-12-02T07:16:47Z</updated>

    <summary>東郷マスターの店を訪ねる</summary>
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        <name>平凡社</name>
        
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        <![CDATA[<p>　新幹線で関西方面へ向かうとき、名古屋の手前の左の車窓にちょっと気になる喫茶店が見える。喫茶ゴルゴ――その字体は丸っこく、まさに漫画の「ゴルゴ13」を思わせる。主人公のデューク東郷にかぶれたマスターがいて、棚にずらっとコミックスが並んでいるに違いない......いつもそんな勝手な想像を浮かべて通り過ぎていた。<br />
　いつの日かあの店を訪ねてみよう、と思っていたのだが、先日ようやく名古屋の出張仕事の機会があって、現地へ足を運ぶことになった。あの場所は確か、昔のナゴヤ球場のちょっと先、すぐそばを川が流れる街道端の一画だった。タクシーの運転手にそんな指示を出しながら、駅前から新幹線際の通りを南下してもらう。見憶えのある川際のあたりで車を降りて、露橋の町名が出たあたりをちょっと歩くと、新幹線のガード脇に目当てのゴルゴが見つかった。<br />
　古びた２階屋に車窓越しに見た丸っこいゴルゴの看板、玄関口に青い幌が突き出している。朝方の８時頃だったので、もしや閉まっているかと思ったら、開店は６時、店内にはすでに２、３人のお客がいる。<br />
　しかし、正面のカウンターに入っているのは中年の女性で、予想していたゴルゴ風のハードボイルドなマスターではない。まっいいか......と思いつつ、せっかく名古屋に来たので名物のモーニングセットを頼むと、これは小倉トーストのようなゴージャスなやつではなく、珈琲とシンプルなバタートーストが運ばれてきた。<br />
　なかなかおいしいトーストを頬張りつつ、カウンターのママさんに店名の件を尋ねると、<br />
「ええ、ウチの主人がゴルゴ13のファンでね、漫画がハヤッてた昭和48年に店始めたんですよ」と教えてくれた。「いまはウラの方にしまっちゃったんだけど」と聞いて、奥の本棚に目を向けると、コミックスがずらりと揃っていた。<br />
　カウンター席で背を向けて、話しこんでいる２人の男は野球談議に熱中しているようだ。当日は日本シリーズの最中でもあったので、地元中日ドラゴンズの話かと思っていたら、どうやら彼らがやっている野球チームの話題のようだ。<br />
　すると、そのうちカウンターの男の１人が振り返った。<br />
「ウチの主人なんですよ」とママさん。背中を向けていたので気づかなかったが、前髪をちょっと突きたてたスポーツカットといい、渋い顔つきといい、まさにデューク東郷なのだった。<br />
「若い頃は、もう少しモミアゲも伸ばしてたんですよ」<br />
　僕が新幹線車中でふくらませていた想像はほぼ適中した。そして、このマスターのゴルゴかぶれはこれだけではすまなかった。<br />
「野球チームの名前もゴルゴ。私の背番号は13。それからパワーボートをやっているんだけど、船もゴルゴっていうんですよ」<br />
　ちなみにマスターは若い頃から野球でならした人で、現在のソフトボールチームも名古屋代表に選抜される強豪らしい。<br />
「ボートも昔は横山やすしと一緒にやってまして、やっさん、この店しょっちゅう来てたんですよ」<br />
　へーっと感心するような話の連続だ。ところでこの店、いまだTVゲームの内蔵卓が置かれていたり、僕の卓上には地球儀が雑然と載っかっていたり、目につくものはいろいろあるが、さらに犬や猫が奔放に歩きまわっている。11才という高齢のコッカスパニエル、可愛らしいチワワ、そしてちょっとぎこちない足どりでうろつくノラ猫は最近どこかで車にハネられてきたらしい。<br />
　そんなペットたちを眺めるマスターの顔つきは、年を重ねて柔和になったデューク東郷、といった感じ。新幹線の窓越しにゴルゴの看板を垣間見るたびに、この和やかな光景を思い浮かべることだろう。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="088gorugo.jpg" src="http://webheibon.jp/blues/entry/088gorugo.jpg" width="480" height="320" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><br />
</p>]]>
        
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    <title>珈琲山ゆり（下落合）</title>
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    <published>2011-11-20T15:07:41Z</published>
    <updated>2011-11-18T09:08:44Z</updated>

    <summary>これぞ「下落合ブレンド」</summary>
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        <name>平凡社</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://webheibon.jp/blues/">
        <![CDATA[<p>　大江戸線で中井に出た。地下鉄のこの駅は出入口が狭い商店街の途中にあって、坂下の妙正寺川を渡った先に西武線の中井駅がある。踏切を越えて北口に入ると、中落合に住んでいた頃の馴染み深い町並になる。学生時代に何度か入ったパチンコ屋のガラス戸に「バカボンのパパ」が描かれているが、このあたりは赤塚不二夫のお膝元。氏がよく通ったという居酒屋、『レッツラゴン』の頃に実名で登場した「白雪鮨」、ちょっと下落合寄りの所にはいまもフジオ・プロが存在する。<br />
　小学生の頃によく自転車で走った坂下の旧道を歩いて、下落合へやってきた。目当てはイラストのなかむらさんから勧められた「山ゆり」という喫茶店。駅の近く......とメモ書きされていたが、あっ！　駅前の道端に見えたその店は、２、３年前に赤塚漫画の研究本（『シェーの時代』）を書いていたときに、編集者と何度か立ち寄った所だった。私鉄沿線の素朴な駅前喫茶、という佇まいが気に入って、いつか取りあげたい、と思っていた店でもある。<br />
　土曜の午前中の店内は、およそ中高年の単身客で埋まっている。席についてガラス戸の方を眺めると、スポーツ新聞を開いたオジサンの背景に駅へ向かう人の姿が垣間見える。BGMはバイオリン協奏曲。いかにものどかな休日の喫茶店の光景だ。<br />
　前に来たときは仕事の打合せで頭がいっぱいで、メニューには無頓着だったのだが、ブラジル、タンザニア......僕の知らないマニアックな品目も並び、豆の販売もやっているようだ。ブレンドは「山ゆり」「下落合」「深煎り」と煎り具合の深さで区分されていたが、中間の下落合ブレンドを注文した。<br />
　僕の背越しの席には珈琲通の男が座っていて、「このあいだのよりキレがいいですね」なんていう、マスターとの通なやりとりが聞こえてくる。一方、反対側のボックス席には60見当の女性客が向かい合って、安く行ける沖縄旅行の話題などを交している。珈琲マニアもいれば、ただスポーツ新聞をぼんやり読みふけるオジサン、茶呑み話に興じる女性客もいる......懐の深い喫茶店といえる。<br />
　とはいえ、常連客とマニアックな豆談義を交すマスターというのは、こういう俗な取材を受けつけないような人かもしれない。奥の厨房からレジの方に出てきたマスターに、おそるおそる声を掛けて取材用の名刺を差し出すと、幸いにも氏はわが著書『東京ふつうの喫茶店』を愛読されていたらしく、話はことの他うまく進んだ。<br />
　ガラス戸に記されているが、開業は1975年。それ以前、歌舞伎町で「サム」という喫茶店をやっていたらしい。<br />
「私がここ来る前から『山ゆり』って看板の店だったんですよ。『サム』に変えようかと思ったんだけど、ヤマユリって子供のころから好きな花だったんで、そのまま使うことにしました」<br />
　晩秋のいま、ヤマユリはないけれど、各テーブルに季節の花が生けられている。<br />
　僕は落合に長く暮らしていたことを話し、このちょっと先の突きあたりにひと頃まであった「山楽ホテル」のことを尋ねた。ホテルの名はついていたが、古めかしい日本建築のまさに「駅前旅館」の佇まいだった。<br />
――赤塚不二夫さんも座敷貸し切って宴会やったり、仲間と共同して漫画描いたりした場所ですよね？<br />
「そう、晩年は映画のロケにもよく使われてね、『シコふんじゃった。』の相撲の道場はあそこを使ったんですよ」<br />
　へぇ、それは気づかなかった。DVDを借りて、じっくり見直すことにしよう。<br />
　ちなみに、下落合というと山の手お屋敷街のイメージもあるけれど、地名の源はこのあたり。店横の妙正寺川がちょっと下流で神田川と落ち合う様を意味する。つまり、この店の下落合ブレンドは、地理的にも正真正銘の下落合――なのである。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="087yamayuri.jpg" src="http://webheibon.jp/blues/entry/087yamayuri.jpg" width="480" height="320" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span></p>]]>
        
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    <title>駅前（新潟・柏崎）</title>
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    <published>2011-11-04T01:26:09Z</published>
    <updated>2011-11-07T04:24:46Z</updated>

    <summary>駅前の小さな鉄道博物館</summary>
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        <name>平凡社</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://webheibon.jp/blues/">
        <![CDATA[<p>　鉄道誌の仕事で上越から北陸を廻る２泊３日の旅に出た。尤もこの企画は各駅（普通）列車を使って、ゆっくり途中下車を愉しむという趣向。新宿を出発して、沼田、六日町、弥彦に一泊して寺泊、出雲崎、二日目は富山の氷見に泊まって七尾、今庄......数々の町を散策したけれど、なかで一つ紹介すると新潟の筒石の町が印象的だった。<br />
　ここは日本海際に続く山のトンネルのなかに駅がある。降りたホームは富士の氷穴のようにきぃんと冷えきっていて、〈列車が通過するときはホームの壁側に寄って下さい〉なんて警告が掲げられている。やがて特急列車がスーッと通過していったが、そのとおり、ものすごい風圧なのだ。およそ300段の階段を上るとようやく地上に出る。そして、坂道を下った海べりに存在する町がまた面白い。狭い道づたいに珍しい３階建ての木造家屋が並び、くねくねとした脇道が坂上の方へ続いている。トンネル駅からのアプローチといい、まさに"隠れ里"に紛れこんだような心地だった（詳しいことは来月頃に出る『旅と鉄道』に書いている）。<br />
　その筒石に行く列車の乗り継ぎで、柏崎に降りた。ビルが案外目につく、一見してあまり歩いても面白くなさそうな中規模都市、といった感じだったが、かなり時間を潰さなくてはならない。ま、喫茶店でも入ってひと休みしようか......と駅前に出ると、そのものズバリ「駅前」って喫茶店が目にとまった。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="086ekimae.jpg" src="http://webheibon.jp/blues/entry/086ekimae.jpg" width="480" height="320" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span></p>

<p>　低いビルの１階、当初はベタな「駅前」の名に魅かれたのだが、ドアを開けるとそれ以上に魅力的な装飾が用意されていた。一面、鉄道グッズだらけなのである。<br />
　信濃大町、水上、柏崎......年季の入った行先表示板が壁にずらりと張り出され、鴨居のような位置に本物の網を使った古風な網棚が取り付けられている。壁の下部は列車の窓に仕立てられ、座席もすべて列車のクロスシートなら、天井も車両風に隅っこが丸っこくデザインされている。他にも「日本海」や「雷鳥」などの号番、鉄道員の帽子に腕章......鉄道趣味の飲食店は時々あるけれど、この徹底ぶりは大したものだ。<br />
　とはいえ、店に流れるBGMは「鉄道唱歌」やSLの走行音......というわけではなく、ホイットニー・ヒューストン。これはおそらくカウンターに入ったマダムの趣味なのだろう。彼女は常連風のオジサンと、鉄道ネタではない普通の雑談をやりとりしている。<br />
「私は店任されて３代目になるんですけど、飾ってあるコレクションは創業者が集めたもんなんですよ」<br />
　開店したのは1971年というから、もう40年。71年というと、国鉄の〈ディスカバー・ジャパン〉のキャンペーンが盛んだった頃。ちなみにこの年デビューした小柳ルミ子の「わたしの城下町」は、タイアップソングでもあった。次々と廃止され始めたＳＬとともに、その姿をカメラに収める、いわば"第一次の鉄っちゃん"が出現した時期だが、創業者もそういう一派だったのかもしれない。当時の柏崎駅には、まだSLが入っていた頃だろう。<br />
　クラシックな座席に腰掛けて、鉄道アンティークの諸々を眺めながら珈琲を飲んでいると、そんな往りし日の北陸線の駅前風景が想像されてくる。おそらく昔の機関区と思しき線路端の一帯は再開発の区画整理が進んでいる。建設中の大きなビルは新しい市役所らしい。<br />
　ところで、店を出たところに人がずらりと溜っていて、何かと思ったら、ちょうど店の真ん前が東京行の長距離バスの乗り場だった。「駅前」の看板を背に乗客が並んだ様は、姿は変われど、まさに旅情漂う駅前風景であった。<br />
</p>]]>
        
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    <title>一番館（一番町）</title>
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    <published>2011-10-24T00:38:58Z</published>
    <updated>2011-10-24T04:30:26Z</updated>

    <summary>ウーパールーパーを眺めながら</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://webheibon.jp/blues/">
        <![CDATA[<p>　麴町の日本テレビに行った。あの嵐がやる「嵐にしやがれ」って番組のなかに、作家や文化人......がメンバーの一人にマニアックな話を講義するようなコーナーがあって、僕は二宮（和也）クンに"都バスの魅力"について語ってきた。彼のドラマはけっこうよく観ていて、前々から好感をもっていたのだが、実際対面した本人も礼儀正しい、さわやかな好青年だった。<br />
　日テレの本拠は現在汐留に移ったが、残されたこの麴町のスタジオは思い出深い。四十数年前の大学生の時代、「ほんものは誰だ！」という番組に出演した。ある事柄を成しとげた"本物の人物"を３人の出場者のなかから割り出す――というクイズ形式の番組で、僕は当時サークル（広告学研究会）で企画したＴＶガイドのＣＭ（パロディーＣＭとしてちょっと話題になった）の制作者の本物、として出演したのだ。学生にありがちなウケ狙いの軽薄な返答をして、解答者の一人として出演されていた柴田錬三郎先生に「不肖の後輩をもった」（氏も僕と同じ慶応の出身だったのだ）と嘆かれたことをよくおぼえている。<br />
　そんな日テレでの収録を終えて、ちょっとあたりをふらつくことにした。どこかにいい喫茶店でもないだろうか......一番町の方へ行く横道に外れると、この辺はシャレたパンや洋菓子を並べた店が目につく。道は番町の坂下に続く旧道といった雰囲気で、どことなく下町風情も感じられる。坂上に時折覗き見える木立ちは大使館や学校の敷地だろう。<br />
　谷間の裏町めいた、なんとなくいい喫茶店がありそうな通り......と予感を抱きながら歩いていたら〈カフェテラス　壱番館〉の看板が目に入った。レンガの壁に眺めの良さそうな窓を張った、いかにも番町らしい個人店の雰囲気。そして、一見ビル１階の店と思ってよく見ると、隣りのビルとは分断されて、この店は背の低い２階屋なのだ。しかもレンガ張りは表の方だけで、裏方を見ると木造建築のようだ。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="085ichibankan.jpg" src="http://webheibon.jp/blues/entry/085ichibankan.jpg" width="480" height="320" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span></p>

<p>　夕刻５時過ぎの店内は、日経新聞を開く中年男、老紳士の２人組......年輩の男性客が目につく。近隣のオフィス街裏の休息地、といった場所なのだろう。小腹が減っていたので、ブレンドとマロンケーキのセットを注文したが、食事のメニューにも〈半熟オムレツのオムライス〉とか〈黒ゴマのカレー〉とか、なかなか魅力的なものがある。<br />
　珈琲はブレンドとアイスがあるだけで、豆の名を掲げた専門的なものはないけれど、このブレンド、ヘンなクセがなくてとてもおいしい。マロンケーキも皿の隅に、ミントを添えたクリームを土台にしてクラッカーが飾りつけされて、なかなか凝っている。<br />
　壁の絵画、観葉植物、傘型のランプ......というブナンな装飾のなかで、異彩を放っているのがレジ脇の水槽のウーパールーパーだ。<br />
「正確にはアホロートルといい......」ウンヌンという解説札まで付いているから、よほどここのマスターのお気に入りなのかもしれない。<br />
　出際、そのレジに立つ老マスターに尋ねてみた。<br />
「この店を始めたのが昭和58年（83年）なんですが、当時ハヤッてたでしょ、ウーパールーパー。５千円かそこらしたんだけど、いまは値が下がって、なんでも最近はヤキトリ屋なんかがコレ焼いて出してるって話ですよ」<br />
　ヤキトリのネタになっているとは初耳だった。しかし、聞き忘れたが、このウーパールーパー、創業当時から生きてるやつなのだろうか？<br />
　そして、もう一点気になるのが、マスターと思しき男が具志堅用高と映った２ショットの写真パネル。<br />
「背景の流山のラーメン屋をね、具志堅さんと一緒に昔やってたんですよ」<br />
　マスターはこの喫茶店を始める前から、新宿のクラブやスナック、ラーメン屋......飲食店を手広くやってきた方らしい。<br />
　建物自体は40年近く前の家で、以前は2階に御夫婦で暮らしていたという。<br />
　まさにここは一番町の壱番館。おちついたクラシックが流れる店内にウーパールーパーが泳ぐ、都心一等地の貴重なスポットだ。（最寄り駅は半蔵門）<br />
</p>]]>
        
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    <title>アトリエ・ド・リーブ（十条台）</title>
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    <published>2011-09-29T05:38:37Z</published>
    <updated>2011-10-14T10:58:02Z</updated>

    <summary>旧軍用地の赤レンガ館</summary>
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        <name>平凡社</name>
        
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        <![CDATA[<p>　十条の南方の台地には、かつて陸軍の兵器工場などの軍用施設が置かれていた。その一部の建物が保存、再利用されていると聞いて、訪ねてみることにした。<br />
　埼京線の十条が最寄り駅のようだが、バスの案内本で調べてみると王子から近くを走る路線バスが出ている。バス好きとしては、コレを使ってみたい。王子の駅前から乗った板橋駅行の路線は緑色の国際興業バス。以前、板橋の大谷口（大山）をめざしたとき（第82回参照）のアプローチにも似ているが、この辺の東京北部は緑色の国際興業バスの黄金地帯なのだ。<br />
　バスは湾曲した石神井川の北岸の道を進んでいく。紅葉橋（もみじばし）という停留所を通りがかったが、橋際に見える金剛寺は俗に紅葉寺と呼ばれ、昔からモミジの名所として知られた場所だ。中央公園で降りると、大通りのちょっと奥方にその公園が広がっている。この一帯がかつての陸軍の敷地だ。<br />
　公園の南門のすぐそばに白亜のクラシックな洋館が建っている。一見、歴史深いミッションスクールを思わせるこの建物、現在「文化センター」になった、昔の陸軍造兵廠の本館。戦後は米軍に接収されて、ベトナム戦争の頃（68年）に「野戦病院」が置かれて大きな話題になった。僕が小学6年生の頃、住民の反対運動の記事が日々新聞に載っていたことを思い出す。<br />
　入ってみると、もはやまるでキナ臭い時代の面影はない。ロビーの向こうの会議室からにぎやかな話し声が聞こえてきたので覗いてみると、老若男女の外国人、日本人が入りまじって和やかな交流セミナーが催されていた。<br />
　公園北方に残る自衛隊駐屯地の脇道を進んでいくと、やがてレンガ建築の趣きのある建物が見えてきた。横浜の赤レンガ倉庫を思わせるこの建物、かつての陸軍造兵廠の薬莢（やっきょう）工場。つまり、銃砲の筒を作っていたのだ。数年前から図書館として再利用されている。外壁などはメンテナンスが施されて、玄関脇に緑地を見渡すカフェが設けられている。今回はココでひと休みすることにしよう。<br />
「赤煉瓦cafe アトリエ・ド・リーブ」とシャレた看板が出ているが、この「アトリエ――」という店は白金台に本店があるようだ。腹が減っていたのでカレーライスを注文し、なかを見渡すと、さすが図書館の隣接カフェだけあって読書にふけっているお客が多い。図書館（ガラス越しに見える）で本を借りて、このカフェで読書をしながら一服するのを日課としているような御年輩の姿が目につく。<br />
　薬莢工場時代からのものと思しきコンクリと鉄柱を使った堅牢な支柱が三角屋根の天井に向かって伸びている。天井が高いせいだろう、話し声が反響して外国語のように聞こえてくる。ふと、海外の駅や空港ロビーにいるような気分になった。<br />
　カレーライスを食べて、うっかり珈琲や菓子を味わわずに出てきてしまったが、ショーケースにはなかなかウマそうなケーキが並んでいた。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="084doribu.jpg" src="http://webheibon.jp/blues/entry/084doribu.jpg" width="480" height="320" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span></p>

<p>　レンガの図書館前の道を十条の方へ歩いていくと、トンネル道の入り口に出くわした。東方に向かって延びるこの新道は昔の貨物線のルートなのだ。王子周辺にはひと昔前までいくつもの貨物線が敷かれていたが、この線は当初トロッコを使って陸軍の武器や資材を京浜東北線の向こうの貯蔵庫に運搬していたことから、俗にトロッコ道路とか、高架線で走る台地のあたりはトロッコ山、チンチン山（トロッコのベル音にちなんで）などと呼ばれていたらしい。起伏に富んだ界隈の地形が想像されてくる。<br />
　中十条の路地を十条駅の方へ向かっていくと、篠原演芸場の前に行きあたった。若いイケメン役者の興業看板が張り出され、「――BOX」なんてDVDセットのようなイマ風の劇団名が銘打たれている。以前、こういうアイドル座長の公演を見たとき、まわりが追っかけのオバチャマばかりで面食らった。梅沢富美男を輩出した演芸場、いまも根強いファンに支えられているのだ。<br />
　十条の駅前商店街あたりは、いかにも渋い喫茶店がありそうだけれど、その辺の探訪はまた改めて......。<br />
</p>]]>
        
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    <title>カフェ・ルミエール（京成立石）</title>
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    <published>2011-09-14T12:13:22Z</published>
    <updated>2011-09-29T05:38:21Z</updated>

    <summary>立石様と間宮兄弟</summary>
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        <name>平凡社</name>
        
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://webheibon.jp/blues/">
        <![CDATA[<p>　京成の立石へ行った。僕の仕事場がある代官山あたりからは、かなり行きにくい場所というイメージを持っていたが、いまは渋谷から半蔵門線が押上まで直結している。ここで一つ京成押上線に乗り継げばいい。<br />
　押上の先で地上に出ると、曳舟を過ぎる頃から車窓に低い建物が目につき始めた。八広の先で荒川を渡って、四ツ木、そして京成立石。電車を降りたところに、リカちゃんの広告看板が掲げられていたが、そう、お隣りの青砥はリカちゃんを産み出したタカラ社の発祥地なのだ（現在の本拠・タカラトミー社は立石にある）。<br />
　踏切を渡って、まず西口をふらつくと、狭い商店筋からさらにか細い路地が口を開け、くねくねした道端に古びた平屋の呑み屋やホルモン焼の店が軒を並べている。まさに猫が歩くような道......と思っていたら、曲がった先に本当にノラ猫たちが群れていた。<br />
　東口の方はアーケードの商店街が２、３筋続いている。とくに「立石仲見世」の看板が出た筋は古めかしい。入り口には唐揚げやコロッケを売る惣菜屋、魚屋、それから名居酒屋として知られる「宇ち多」もこの一画にある。アーケードを抜けた先にも、年季の入った町屋がぽつぽつと残っている。京成沿線でもこれほど昭和30年代の町並が保たれているところは、ちょっと他にないだろう。<br />
　昭和30年代といえば、当時立石は「血液銀行」のある町として知られた。いわゆる"血を売買する病院"であり、僕はその実態をよく知らないが、この町に暮らしたつげ義春の漫画などに描かれている。そういう因果はないのかもしれないが、商店街を外れると妙に医者が目につく。<br />
　アーチ型の本奥戸橋の際から、湾曲した中川づたいの通りを歩いていくと、途中に〈帝釈之道〉と刻まれた道標が立っていた。方角的にみて、柴又帝釈天へ行く古道なのだろう。そのちょっと奥に、〈立石様〉というのが祀られている。小さな鳥居の向こうに石柱に囲われた一画がある。なかを覗くと、地面にタクアン石のようなものが浮き出している。囲いと謂れ書きがなければ見落とすような石だが、これが地名の源となった立石。活蘇石と呼ばれた凝灰岩の一種で、古墳時代に石室に用いられたものだという。つまり、古代から人が住んでいた証しなのだ。<br />
　駅前アーケード街の本通りに、個人店と思しき喫茶店を見つけて立ち寄った。幌看板に「カフェ・ルミエール」と記され、スパゲッティーとフォークを合体させた懐かしいタイプのサンプルを飾ったショーケースがある。前回の大山の店にも似た奥に長い店内は、観葉植物が所々に置かれ、壁にずらっと高原植物の写真が掲げられている。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="083lumieru2.jpg" src="http://webheibon.jp/blues/entry/083lumieru2.jpg" width="480" height="320" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span></p>

<p>　アイス珈琲をもらって、気さくそうなマダムに「この店、長いんですか？」と話しかけると、「もう40ナン年か......正確には昭和44年の9月15日に開店したのよ」<br />
　マダムはこの場所の生まれで、もとは先代が２階で麻雀屋を営み、１階はパチンコ屋に貸していたらしい。<br />
「麻雀屋が『光』って名前でね、それをフランス語にして『ルミエール』って喫茶店にしたんですよ」<br />
　壁に飾られた高原の写真は、写真趣味のお客さんが撮影したもので、季節ごとに衣替えする。そして、さらに、こんな興味深いエピソードを伺った。<br />
「『間宮兄弟』の映画で、ウチ出てくるんですよ」<br />
　佐々木蔵之介とドランクドラゴンの塚地武雅が仲のいいオタクっぽい兄弟を演じる森田芳光監督（原作・江國香織）の映画は、僕も大好きな一作で、そういえば立石らしきアーケード街が出てきたなぁ......とは思っていたが、塚地と戸田菜穂がオチャするシーンはココで撮られたらしい。<br />
『沢尻エリカは来なかったのよ、残念ながら。それから鳩山さんも来たのよ、兄弟（由紀夫・邦夫）揃って昔......』<br />
　マダム、けっこう有名人話がお好きなようだ。しかし、間宮兄弟に鳩山兄弟、兄弟に縁のある店なのかもしれない。<br />
「近頃はこの辺、呑み屋やホルモン焼が増えたけど、昔はオカズ屋、お惣菜屋さんがずらっと並んでたのよ」<br />
　なるほど、このあたりは町工場の人たちの生活と絡みついた商店街だったのだろう。<br />
</p>]]>
        
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    <title>カンナ（板橋・大山）</title>
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    <published>2011-09-04T15:00:01Z</published>
    <updated>2011-09-04T09:19:02Z</updated>

    <summary>大山銀座の泡立つコーヒー</summary>
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        <name>平凡社</name>
        
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        <![CDATA[<p>　しばらく歩いていない商店街へ行ってみたくなることがある。ふと、思い浮かんできたのは板橋の大山商店街。城南地区の武蔵小山と肩を並べる、東京の代表的なアーケード商店街だ。<br />
　池袋から東上線を使うのが早いけれど、池袋西口から向こうの方へ行く路線バスが何本かあったはずだ。緑色の国際興業バスがずらりと並んだ公園脇の乗り場で、「日大病院」行のバスに乗った。要町を抜け、千川駅の先を右折して大谷口の町に入る。終点の日大病院の手前、「水道タンク前」の停留所でバスを降りた。<br />
　右手にドーム型の給水塔が建っているが、これは最近再建された2代目で、ほんのひと頃まで中野の哲学堂近くにあるのと同じ格好の古めかしいやつが存在していた。落合の小学校に通っていた頃、屋上にいくと、手前に哲学堂（野方給水塔）、その先に前者より外壁のコンクリが若干黒っぽい大谷口の給水塔が小さく見えた景色が印象に残っている。2代目は裏側に四角いビル棟が結合されて、オリジナルとは多少デザインは異なるものの、ドーム型の本体は元のスタイルの面影を留めている。ともかく、ランドマークとして復活したことは喜ばしい。<br />
　このちょっと先から、バス通りと枝分れするように大山駅へ続く細道の商店街が口を開けていたはずだが、こちらは広々とした新道に変貌している。このルートが中野通りの延長線になるのだろう。川越街道を渡って、昔の商店筋の細道を少しいくと、まもなくアーケード街に突きあたる。右手の大山駅の方へと歩いていった。<br />
　いまは〈ハッピーロード〉と名づけられているけれど、通称〈大山銀座〉の名で知られた東上線屈指の商店街である。戦後まもなくにぎわい始め、70年代後半にアーケードが被せられた。沿道には「ちょもらんま」などの近頃の中華店も見られるが、大学イモを店頭売する昔ながらの甘味処も残っている。一軒、興味をそそる喫茶店を見掛けたが、もう少し先まで散策してみよう。<br />
　東上線の駅横の踏切を渡ると、こちら東口の通りは〈遊座大山〉の名がついている。遊座はおそらく、もとの銀座をいじくったネーミングだろう。ちなみに昭和30年代の案内本によると、この東口の通りには映画館が5軒も並んでいたようだが、もはや１軒きりない。<br />
　引き返して、さっきアーケード街の一画で気になった「カンナ」という喫茶店に入った。<br />
〈スイス生まれの泡立つコーヒー〉<br />
　そんな張り紙がガラス戸に掲げられ、薄緑色のイスを置いたテーブルが奥へ奥へと続いている。入ってすぐの所にエスカレーターの乗り口があって、どうやら2階はソバ屋のようだ。店内は奥方が広く、所々の席で単身の老人客がのんびりとスポーツ新聞を開いている。どことなく、地方都市の大型喫茶のようなムードが感じられる。<br />
　ベテラン風のウェートレスに尋ねたところ、「スイスの泡立つコーヒー」というのは、エスプレッソのことのようだ。だったらイタリアの方が妥当......と思ったが、スイスの方が面白い。ともかく暑い日なのでアイスコーヒーをもらって、向こうのガラス戸越しに道往く人の姿をぼんやり観賞する。かき氷の旗を出した対面の店の前を自転車で通りすぎる主婦の姿を眺めながら、本当に旅先の町の喫茶店でひと休みしているような気分になった。<br />
　帰り際、厨房に入った店の御主人に話を伺ったところ、開店は僕の予想以上に古い1961年、もう半世紀になるのだ。<br />
「はじめは木造の建物で、洋品店をやってまして、その裏方に喫茶室を置いたのが出発点なんですよ」<br />
　なるほど、カンナの名は洋品店らしい。そして、かつてこの大山銀座の西口は、東口の映画街に対して洋品店の多い筋だったという。<br />
　店を出る頃、おなかが減ってきたので横道に見つけた中華屋に入った。「焼きワンタン」なんて珍しいメニューがある。この店、主は上海の人だった。そう、映画館や洋品店に代わって、いまどきの東上線の町は中国人が多く住む地域なのである。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="082kanna.jpg" src="http://webheibon.jp/blues/entry/082kanna.jpg" width="480" height="320" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span><br />
</p>]]>
        
    </content>
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    <title>但馬屋珈琲店（新宿西口）</title>
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    <published>2011-08-05T14:05:52Z</published>
    <updated>2011-08-16T04:10:35Z</updated>

    <summary>思い出横丁の看板店</summary>
    <author>
        <name>平凡社</name>
        
    </author>
    
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://webheibon.jp/blues/">
        <![CDATA[<p>　京王デパートの古本市にやってきた。初日の開店まもない時間だが、もうかなりの人出である。近頃のこういう古本市の傾向は、漫画や雑誌、映画のパンフに広告チラシ......といった"中野まんだらけ"系のサブカル雑貨を扱う店が増えたこと。その種のジャンルに目がない僕は、古地図やチラシを詰めこんだ箱などをあさり始めたらキリがない。以前から欲しかったローカル鉄道の写真集と昔の東京の写真集を2冊買って、混み合う会場をあとにした。<br />
　さて、さっそく購入した写真集を眺めてみたい。ここに来たら、目当ての場所は決まっている。線路端の「思い出横丁」の南端、東口へ抜ける小ガードの横に建つ「但馬屋珈琲店」だ。以前から、一度取材を試みたいと思っていた店でもある。<br />
　平日午前中の店内は、1人、2人、3人......イラストのなかむら嬢がグッとくるような、単身の年輩客が目につく。おそらく、古くからの御常連さんなのだろう。カウンター席に腰掛けると、隣りのおじいちゃんはバス路線図を広げている。これから一人、のんびりとバスの乗り歩きなどを愉しもう、といったところかもしれない。<br />
　カウンターには、シックな黒服を着た若い女性が入って、ネルドリップでていねいに珈琲を注いでいる。背棚にはシャレたカップと様々な豆が並べられ、アンティーク風の調度品が飾られている。注文した「但馬屋ブレンド」は程良い苦味が効いて、とてもおいしい。自家焙煎の本格的な珈琲店なのだ。<br />
　店の歴史を伺おうと、女性スタッフに声を掛けると、気安く店長に連絡してくれた。<br />
「2階でいま、焙煎してるんですよ」<br />
　階段を上った2階の隅には焙煎室が置かれ、こちらにもカウンター席が設けられていた。時折ゴトゴトと鳴る電車の音を聞きながら、店長の大久保清作さんからお話を伺った。<br />
「こういう自家焙煎の店にしたのが25年前、私はその前から勤めていたんですが、もとは『純喫茶エデン』って名前だったんですよ」<br />
　彼が豆の選択、焙煎、メニューの考案など、実務の全てを仕切っているらしい。ちなみに、以前ここで紹介した鬼子母神前「キアズマ珈琲」の若いマスターは、大久保さんの下で働いていたという。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="081tajimaya.jpg" src="http://webheibon.jp/blues/entry/081tajimaya.jpg" width="480" height="320" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span></p>

<p>　やがて、店のオーナー・倉田雄一さんがやってきて、さらに細かい沿革を語ってくれた。<br />
「先代は戦後、このあたりのヤミ市の衣料屋から出発しまして、昭和39年に喫茶店を始めたんです」<br />
　現在「思い出横丁」として残っている一帯も含めて、終戦後の西口は安田組が仕切るマーケットが広がっていた。しかし、喫茶店当初の「エデン」の名、僕が生まれ育った落合の目白通りと環6の交差点にも同名の喫茶店があった。もしや関連があるのでは？　と尋ねたところ、縁はないらしい。<br />
「昔、藤田小乙女（コトトメ）っていうタレント占い師がいたでしょ？　父（先代）が彼女に占ってもらったところ、3文字の名前がいいとかいわれて、たまたまその頃大阪でエデンって喫茶店を見掛けて即決した、という話です」<br />
　へぇ、久しぶりに藤田小乙女の名前を聞いた。ところで、リニューアルの際に「但馬屋」としたのは、先代の出身地が兵庫県の出石で、旧国名の「但馬」に由来するらしい。<br />
　メニューを眺めると、マニアックな豆モノの珈琲の他、「永井さんのアップルパイ」「特醸ツナと牛蒡（ごぼう）サンド」......と、サイドメニューも面白い。「永井さん」というのは大泉学園の洋菓子屋で、わざわざそこのアップルパイを取り寄せている。ランチがてら、ツナとゴボウのサンドイッチを頂いたが、これも珈琲に劣らず上出来の味だった。<br />
　オーナーは64才、店長は60才。長いつきあいのベテランの指揮の下、珈琲好きの美女スタッフが小気味よく働いている。路面などを整備しながら、往年の横丁の雰囲気を留めた、まさに「温故知新」の界隈を象徴する喫茶店である。<br />
</p>]]>
        
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    <title>セブン（三軒茶屋）</title>
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    <published>2011-07-29T01:36:20Z</published>
    <updated>2011-08-09T07:48:27Z</updated>

    <summary>中劇で映画を観る前に</summary>
    <author>
        <name>平凡社</name>
        
    </author>
    
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://webheibon.jp/blues/">
        <![CDATA[<p>　駒沢大学のあたりでテレビ番組の収録を終えて、同夜近くの店で催される打上げに顔を出すため３時間ばかり暇を潰さなくてはならない。映画でも観ようか......と、隣り町の三軒茶屋にやってきた。<br />
　目当ての場所は、「三軒茶屋中央劇場」。世田谷通りと玉川通りに挟まれた、三角地帯の一画にある。外壁に〈映画は中劇〉のキャッチフレーズとカッパのマスコットが描かれたレトロな建物は、先日DVDで観た三茶舞台のドラマ「すいか」のタイトルバックにも使われていた。僕はこれまで２、３度入ったことがあるけれど、館内にも古めかしい灰皿を置いた喫煙ロビーなどが設けられていて、昭和30年代の映画館の気分が満喫できる。<br />
　玄関先のプログラムを見ると、この日の上映作品は「漫才ギャング」と「大韓民国１％」の２本立て。なかなかユニークな取り合わせだ。が、「漫才」はもう終盤のあたりで、次の「大韓民国」までまだ30分余り時間がある。<br />
　どこか喫茶店で一服しよう......と、エコー仲見世の方へ行く狭い路地を歩いてみたが、この辺は呑み屋ばかりで喫茶店は見当らない。ふと玉川通りを渡って、入った横道に〈創業48年〉と記された「セブン」という店を見つけた。店名はどうってことないけれど、48年という歴史にはそそられる。<br />
　店内は仄暗く、思っていた以上に奥へ長く続いている。最奥の席に座ると、すぐ横は外光を入れるサンルーム風の仕立てになっていて、ここから入り口の方を見渡すと、各テーブルの上に花柄の傘ランプが配置され、なかなか装飾がシャレている。ちょっとヨーロッパの古いカフェのような雰囲気でもある。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="080sevn.jpg" src="http://webheibon.jp/blues/entry/080sevn.jpg" width="480" height="320" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span></p>

<p>　暑い日だったのでアイスオーレを注文、卓上のチラシに目を向けると、「開店48周年を記念してホットコーヒーを一杯サービス......」なんてことが書かれている。サービスはいいけれど、48年とは中途半端な年数である。結局、年柄年中サービスをやっている、ってことではないだろうか？<br />
　店内にはバイト風の若いウェートレスが２、３人、カウンターのあたりを出入りしている初老の男がおそらく店長さんだろう。アイスオーレを飲み終わる頃、可愛らしいウェートレスが例の"コーヒーサービス"の伺いを立てに来たが、そろそろ映画の時間も迫っていたので遠慮して、席を立った。手早く店長にお話を伺おうと思っていたら、姿が見えない。再訪しようと外へ出たところで、店長さんと出くわした。<br />
――傘ランプ、素敵ですね。西洋物ですか？<br />
――ポルトガルで買ってきたんですよ。旅行が好きなんで、旅先で探してきたものを店の装飾に使ってるんです。<br />
　レジの女の子から、「あまり取材は受けない」と聞いていたので、気難しい人なのかと思っていたら、案外気さくに話してくれる。再びなかへ導かれて、入り口際の席につくと、さっきは見落としていたが、螺旋状の階段が２階へ続いている。<br />
「上にも席があるんですよ、ちょっと案内しましょう」<br />
　戸に仕切られて、ＶＩＰルーム風のスペースが設けられていた。この一画は天井が入母屋造りの田舎家のような仕立てで、妙な籐細工がぶら下がっている。<br />
「エマニエル夫人の籐イス。あの映画でエマニエルが腰掛けてたのと同じタイプのイスを分解して、飾りにしたんです」<br />
　ユニークな装飾だが、それよりもこの入母屋風の屋根裏を見ると、48年よりもっと古そうだ。<br />
「もともと戦前くらいからの民家でね、私が23のときに改装して喫茶店を始めたんです」<br />
　若々しい人だが、店長はもう70になる。1963年の開店だから、玉川通りを玉電が走っていた頃から営業していたのだ。<br />
「玉電はノロノロ走るから渋谷まで30分も要る。だから昔はこの辺の学生、渋谷まで出ずに三茶の店に溜ってたんですよ」<br />
　なるほど、映画館が何軒も建つ繁華街としてにぎわったのも、そういう事情だろう。お客も少なくなったので、47年でも48年でも、年中サービスしよう、ということにしたらしい。<br />
　ちなみに「セブン」の店名は、「ちょっとした思いつき。わかりやすいでしょ？」と、あっさり返された。<br />
　映画にはギリギリで間に合った。「セブン」のマスターも、若い頃からこの劇場で何本もの映画を観てきたのだろう。<br />
</p>]]>
        
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    <title>カフェ東亜サプライ（門前仲町）</title>
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    <published>2011-07-15T07:21:10Z</published>
    <updated>2011-07-19T01:44:16Z</updated>

    <summary>宿に泊まって深川歩き</summary>
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        <name>平凡社</name>
        
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        <![CDATA[<p>　門前仲町に前々から気になる宿があった。深川不動の参道筋の「大喜」という旅館。ちなみにウェブでは表現できないが、看板の喜の字は「七」を三つ重ねた略字になっている。先日、江東区の広報誌のコラムで、この旅館を取材する機会をもった。<br />
　数寄屋造りの古めかしい建物は、大工をやっていた先代が昭和30年代頃に自ら建てたもので、「大喜」の屋号自体、喜助という先代の名と大工を合わせたのだという。観光客相手というよりも、昔の木場に出入りする業者の商人宿として親しまれていたらしい。<br />
　なんて取材をしたら、やはりこの旅館に一度泊まってみたくなった。わざわざ日本橋あたりから歩いて永代橋を渡り、旅館に入っているひと風呂浴びて、赤札堂裏手の辰巳新道をそぞろ歩く。ここは戦後のバラックから発展した呑み屋横丁で、そそられる小料理屋が軒を並べている。とある店でしこたま酒食を愉しんで、不動様の境内が覗き見える部屋でぐっすり眠りにおちた。<br />
　翌朝、宿を出て、まだ閑散とした参道を歩く。ちょっとオナカが減っている。どこかでモーニングでも食べていこう。門前仲町の交差点に昨日見掛けた喫茶店にちょっとした旅行者の気分で立ち寄った。<br />
　東西線の入り口の横。「ちかてつそば」という随分前に入った立ち食いソバ屋のあるビル２階。「カフェ東亜サプライ」と、何か継ぎ足ししたような店名が面白い。ものすごくクラシックなわけではないが、それなりの年季が感じられる。この辺に東西線が開通したのは1960年代の終わり頃だから、それ以降のビルだろう。２階全体を使ったフロアーは広々としていて、横長に張った窓から門仲の交差点が見渡せる。ゆったりとしたボックス席が配置され、店内にイージーリスニング調のメロディーが緩やかに流れている。<br />
　近頃は少なくなった、典型的な"ふつうの喫茶店"だ。こういう店が、かつてはにぎやかな町の辻によくあったものである。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="079toosapry.jpg" src="http://webheibon.jp/blues/entry/079toosapry.jpg" width="480" height="320" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span></p>

<p>　アイス珈琲とトースト、ゆで玉子のモーニングセットを注文、８時半の店にはスポーツ新聞を広げながら朝食を取る人が目につく。この日は土曜ということもあって、僕の隣席のオッサンは競馬欄を眺めながら、もう一つ向こうの顔見知りの男に向かって、一方的にレース予想や自慢話をまくしたてている。<br />
「５－６、　６－５って買って10万くらい付いちゃってさぁ、けど呑み屋出る頃にはスッカラカンなんだ。どこでどーして使ったのか、アレおかしなもんだよねぇ......」<br />
　と、なかなか豪勢にやっている人のようだ。そのうち、競馬談義を聞かされていた男の席に知人と思しき婦人が加わって、また別の話題が聞こえてくる。いかにも下町の常連が集う喫茶店という雰囲気。<br />
　東亜（トーア）という名、ソンボレロを被ったメキシコ人のマークを見て、時折見掛ける卸し豆のチェーン店と気づいた。テーブルには〈TOAのコーヒーは国際審査員・アサノ正久のこだわりが込められている！〉と見出しを付けたチラシが置かれていた。<br />
　店長に伺ってみると、アサノ正久氏とはトーア社で取締役を務める、いわば珈琲豆ソムリエのような人物で、ブラジルやグァテマラ......世界各地で催される審査会に出席、そこで選りすぐられた豆だけを商品として扱うのだという。<br />
「84点以上の豆に〈カップ・オブ・エクセレンス〉という称号が与えられる。ウチではその豆だけを使っています」<br />
　しかし、84点というのはなんだか中途半端な線引きである。<br />
　ちなみに「サプライ」というのが、この門仲の店の名前。「ちかてつそば」やタコヤキ屋が入ったビル自体、28年前にトーアが建てたものらしい。深川の玄関口・門前仲町のちょっとしたランドマークだ。<br />
</p>]]>
        
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    <title>オン・ザ・コーナー（新宿区改代町）―後編</title>
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    <published>2011-07-03T15:00:00Z</published>
    <updated>2011-07-01T08:28:39Z</updated>

    <summary>マスターのテレキャスター</summary>
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        <name>平凡社</name>
        
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        <![CDATA[<p>　前回から引き続いて、改代町の「オン・ザ・コーナー」の話だ。ビーチボーイズやイーグルスのアルバムが飾られた店内で、ブラックカルピス（カルピスの珈琲割り）というレアなドリンクを飲みながらマスターの話を伺っている。<br />
――ところで、開店はいつ頃ですか？<br />
――1973年、もう始めて40年近くになります。<br />
　73年というと僕は高校２年、晩秋に起こった石油ショックで知られる年だが、ディープパープルにGFR、イエスなどのハードロック系、グラムロックと呼ばれたＴ・レックス、さらにプログレ、ウエストコースト......様々なジャンルの人気バンドが入り乱れ、大物グループが続々と来日したロックブーム盛りの頃だった。僕も当時六本木にあった「ジャジュ」という監獄スタイルのロックパブでムリして飲んだ濃い酒がたたって、十二指腸潰瘍を患い、ちょうど石油ショックの頃に一週間ばかり入院した苦い思い出がある。<br />
　マスターは、還暦をちょっと過ぎた年代というから、当時は20代中頃、あの六本木のロックパブに屯（たむろ）していたような、ロンドンブーツを履いた長髪コンチスタイルの若者だったのかもしれない。<br />
　もともとこの場所で生まれ育ち、家を改築する際に彼が喫茶店を出すことになったのだという。<br />
「はじめのうちは近くの赤城台高校（現・東京都立国際高校）の音楽好きの生徒さんがよく来てました。バンジョーなんかをやるブルーグラスのサークルのコたちが多かったかな。僕も教えてあげたりしながら、ちょっとしたライブなんかもやってたんですよ」<br />
　そう、マスターはレコードコレクターというよりも、楽器に通じた人なのだ。バンジョー、エレキ......店内に何点か飾られたギターのなかで、目についた真っ赤なエレキギターについて尋ねてみた。<br />
「コレはテレキャスターの1968年モデルの改造で、大好きなザ・バーズのギタリストが愛用していたやつを忠実に復刻したものなんです」<br />
　こういうハードな楽器知識にうとい僕は、残念ながら突きつめたやりとりはできなかったけれど、マスターは発明したカスタムモデルをギター専門誌に次々と発表している、その世界では知られた職人らしい。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="078onthecorner.jpg" src="http://webheibon.jp/blues/entry/078onthecorner.jpg" width="480" height="320" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span></p>

<p>　当然、若い頃からバンドもやっていた。世代的にみて、「勝ち抜きエレキ合戦」（65、66年のエレキブームの頃の人気番組）あたりに出場したクチではなかろうか？<br />
「いやあの時代、ベンチャーズみたいなインストバンドはやってなかったんだけど、最近は商店街の連中とオヤジバンドを結成してベンチャーズとか演奏してるんですよ。僕はもっとディープなウエストコーストロックが好みなんだけど、なんといってもベンチャーズはわかりやすいでしょ」<br />
　ナンタラ屋の誰々がドラムで......といった具合に、ここ地蔵通り商店街あたりの店主の名が挙がった。メンバーのなかには「イカ天」に出場した人もいるらしい。<br />
　実はこの取材の直後に「アド街ック天国」の「江戸川橋」の回に出演したのだが、周辺には"来日した大物ロックミュージシャンがお忍びでいくラーメン屋"などが存在することを知った。彼らがよく宿泊に使う椿山荘のフォーシーズンズが近いせいもあるのだろう。<br />
　店内にそういったミュージシャンのサインは見当たらなかったけれど、イーグルス、ドゥービーブラザーズ......その辺のメンバーの誰かがここでブラックカルピスをひっそりと味わった可能性もある。<br />
　所蔵するレアなレコードを持って再訪する約束をして、改代町の角の店を出た。<br />
</p>]]>
        
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    <title>オン・ザ・コーナー（新宿区改代町）－前編</title>
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    <published>2011-06-15T01:14:35Z</published>
    <updated>2011-06-20T01:34:34Z</updated>

    <summary>地蔵通りのブラックカルピス</summary>
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        <name>平凡社</name>
        
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        <![CDATA[<p>　東西線の神楽坂で降りて地上に出ると、このあたりは神楽坂というより新潮社のある矢来町の台地だ。この辺から北方の江戸川橋にかけての一帯は、かつて新潮社の裏の寮にこもって、長い原稿を書いていた（いわゆるカンヅメ仕事）ときによく散歩したものだった。<br />
　早稲田通りの一本裏筋に入ると、崖際の眺望の良さそうな所に「見晴湯」なんてシャレた名の銭湯があり、神楽坂の方へちょっと行くと赤城神社の境内に出くわす。神社脇の赤城坂を下ると、低地に印刷工場や製本工場が集まっている。坂上には新潮社や旺文社などの大手出版社、坂下にはその土台を支える紙や印刷の工場......業界のヒエラルキーをひしひしと感じる地帯である。<br />
　そしてこのあたりは、昔ながらの町名を付けた、小さな区割りの町がよく残っている。赤城下町、築地町、東五軒町、西五軒町、水道町、改代町。改代（カイタイ）町から西方の山吹町にかけて「地蔵通り」と名を付けた庶民的な商店街が続いている。ずっと先まで歩いていくと、山吹町の広い通りに出くわす角に子育地蔵が祀られていた。当初は火除の地蔵だったようだが、どうやらこれが商店街の名の由来らしい。<br />
　沿道には茶舗の「玉露園」がやるカフェもあったけれど、商店筋が始まる改代町のあたりでもっと気になる喫茶店を見掛けた。道の四つ角の所に建つ「オン・ザ・コーナー」という店。玄関の窓にウエストコーストロック系のレコードアルバムがずらりと掲げられ、年季の入ったロック喫茶風の佇まいを見せていた。そしてこの店、商店街側の側面に同名の看板を出した婦人服屋が入っているのも面白い。<br />
　昼間から荒くれたロック野郎が屯（たむろ）しているような、排他的な店だったらどうしよう......若干緊張しながらなかへ入ると、流れているのはカントリー・ウエスタン風味の静かな曲で、カウンター席にぽつんと一人、地元の常連らしき中年女性が腰掛けて、厨房のマスターとのんびりダベっていた。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="077onthecorner.jpg" src="http://webheibon.jp/blues/entry/077onthecorner.jpg" width="480" height="320" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span></p>

<p>　メガネを掛けたマスターは、70年代調のネルシャツを着て、いかにもウエストコースト派のオヤジ、といった風情である。テーブル席について、あたりを見渡すと、カウンター上の額縁にビーチボーイズ、イーグルスのアルバムが飾られ、背棚にもぎっしりと古びたアナログLPが収納されている。レコードだけではなく、歴史を感じさせるエレキギターやバンジョー......楽器も所々に展示されている。<br />
　その辺のことについては後々尋ねてみるとして、まずは珈琲を注文。飲みかけたときに品書きに掲げられた「ブラックカルピス」というのが目にとまった。<br />
――コレ、どんなもんですか？<br />
――ウチのオリジナルで、カルピスをブラック珈琲で割ったんですよ。<br />
　ブラックカルピス――珈琲の苦味がカルピスの甘味を程良く抑え、コレ思った以上にイケる。<br />
　マスターの音楽趣味を推理していたら、ふと高校か大学の初めの頃にFENでよく聴いた、「ジャッキーブルー」という一曲が思い浮かんできた。<br />
――ジャッキー・ブルーって曲、アレ唄ってたグループ、なんていいましたっけ？<br />
――オザーク・マウンテン・デアデビルス。シブイ曲ご存じですね。確か再発されたCDがありますよ。<br />
　イーグルスの「呪われた夜」にも似た、いかにも70年代中期のウエストコーストを思わせるサウンドが店に流れる。電波状況の悪いFENを聴きつつ、アメリカ西海岸に憧れていた頃のことが回想されてきた。<br />
　ブラックカルピスを飲みながら、マスターとの話もハズんできた。が、その後の興味深い話題を紹介するには、ちょっと紙幅がない。次回、改めて。</p>]]>
        
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    <title>よしだ屋珈琲店（乃木坂）</title>
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    <published>2011-06-05T15:00:00Z</published>
    <updated>2011-07-20T10:10:24Z</updated>

    <summary>檜町のモダンな路地裏</summary>
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        <name>平凡社</name>
        
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        <![CDATA[<p>　千代田線の乃木坂で降りて乃木神社にやってきた。石段を上った小高い所に乃木将軍の住まいやレンガ壁の厩（うまや）が保存されている。この境内にくると、乃木希典や神社の歴史とはまるで関係のないあるエピソードを思い出す。大学３年生の頃、サークル（広告学研究会）の面々でテレビ番組に出演した。TBSが日曜の昼間にやっていた「千と一慶　歌のアルバム」（千昌夫と小島一慶が司会）の１コーナーで、神社の秋祭りの日に僕ら学生が露店業者に混じってバナナの叩き売りのマネ事をやる......なんて企画だった。確か同じ中継シーンにチャーがゲストで入っていて、僕らの叩き売りコーナーが終わった後、石段の下のあたりで「逆光線」という曲を唄っていた。千代田線の駅ができて、まだまもない頃だったと思う。<br />
　そんな青春時代の思い出を回想しつつ境内を歩いて、乃木坂通りの向こうの狭い路地に入った。「生長の家　境内地」なんて札が出た敷地の裏方に入っていくこの道は、以前にも歩いたことがある。曲折した筋の奥に"隠し階段"のような石段があり、それを上っていくとやがて東京ミッドタウンの側面に行きあたる。前に歩いたときは、まだミッドタウンが建設中の頃で、周辺にも裏ぶれた建物や荒れ地が散在していたはずだが、もはや最近のビルに埋めつくされている。<br />
　ミッドタウンの庭園を横目に眺めながら外苑東通りに出て、再び乃木坂の方へ進む。乃木坂通りへ下る側道の手前を右折したところに、今回目当てにしてきた店の看板が見えた。「よしだ屋珈琲店」。前回と同じく、好みのシンプルな屋号である。マンション１階の店だが、路地裏の低層棟なので一軒家のような趣きが感じられる。<br />
「老夫婦がやっているお店で......」と、ココを推めてくれた編集者のメモ書きにあるけれど、カウンターに入った御夫婦の風貌は僕の年代から見ると、老夫婦と呼ぶにはちょっと若い。チェックのシャツをラフに着たマスターの年頃は、団塊の世代といったところだろう。<br />
　メニューを見ると、７種類のブレンドが看板になっているようだ。やや苦味系の「ジャーマンローストブレンド」を注文、ホームメイドの謳い文句が付いた「乃木坂シフォンケーキ」も頂くことにする。<br />
　乃木坂というと、僕の世代は「カプッチョ」という店のチョコレートケーキが人気を呼んでいた。<br />
「カプッチョ。すぐそこの表通りにあった店ですね。田中康夫の『なんとなく、クリスタル』に出てきてすごい人気になったんですよ。ウチの開店がちょっと先だったかな......」<br />
　と、マスター。お二人が福岡から上京して店をオープンしたのは1980年だという。</p>

<p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="076yoshidaya.jpg" src="http://webheibon.jp/blues/entry/076yoshidaya.jpg" width="480" height="320" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span></p>

<p>　ところで、さっきこの辺の裏道を歩いていたときから気になっていた物件があった。<br />
「永六輔さんの本で読んだんですが、檜（ひのき）町ハウスとかいう、昔の作家や芸能人が雑居していたアパート、御存知ですか？」<br />
「山田耕作の御子息の方とか、文化人のお客さんは多いんですが、檜町ハウスってのは知らないなぁ......」<br />
　帰ってきてから本棚を探すと、正確な題名は「赤坂檜町テキサスハウス」。それは永氏が付けたニックネームで、正式名は花岡アパートといって、なんと春風亭小朝のおじいさんが建てたものらしい。1950年代後半、若き永六輔をはじめ、草笛光子、三木鮎郎、大竹省二（カメラマン）、キノトール（放送作家）とドクトル・チエコ（医師）夫妻......時のそうそうたるマスコミ人が２階建てのモダンアパートに集まっていた。<br />
「赤坂通り（現・乃木坂通り）から乃木坂を上る手前、右に乃木會館をみて左にまがる横町の突き当たり、石の壁に寄りかかっているように建っていた木造アパート」<br />
　本に書かれた場所の説明によると、おそらく生長の家裏のあの石段の周辺に存在したのだろう。テキサスハウスのニックネームのようにアメリカ風だったのは、ミッドタウンの前身・防衛庁の敷地が進駐軍のハーディ・バラック（兵舎）に接収されていた由縁に違いない。<br />
　ちなみに檜町とは、いまもミッドタウンの公園名に残る界隈の旧町名。<br />
「実は、31年喫茶店やったんですけど、７月いっぱいで閉めちゃうんですよ」<br />
　えーっ、それは残念。かろうじて檜町らしい路地の面影を残す一画から、こういう喫茶店が消えてしまうとはなんとも惜しい。</p>]]>
        
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