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珈琲専門館 伯爵(池袋北口)

池袋ノースウエストサイド

 浦和の方から埼京線で戻ってくるとき、ふと車窓に見えた池袋西口の北寄りのあたりを歩いてみたくなった。ひと昔前まで、あやしい雰囲気の〈ヌードスタジオ〉があった線路端の一画は、マンガ喫茶の看板を出した雑居ビルや屋外駐車場に変わって、その向こうに〈へいわ通り〉の名を掲げた街路が覗き見える。
 この平和通りはかなり古くからの道で、戦前は川越街道の方へ行くバスがこの通りを走っていた。以前から一度じっくり歩いてみたいと思っていた平和通りに入ると、目につくのはラブホテル、それからどことなく現地のニオイが漂う中華料理の店。なるほど、近頃耳にする池袋のチャイナタウン、というのはこの界隈をいうのかもしれない。
 途中「区立 池袋の森」という案内板が目にとまった。指示どおりに横路地に入っていくと、木立ちに囲まれた公園に突きあった。公園といっても、ここはどこかの古いお屋敷の跡地をそのまま保存した、といった感じだ。ログハウスがぽつんと一個置かれていたが、〈不適切な使い方をする人がいるため、現在閉鎖しています......〉なんて断り書きが出ていた。
 裏町めいた風情のこの通りで、渋い喫茶店でもあったら入ろう......と思っていたのだが、呑み屋系の店はあるものの、喫茶店は見当たらない。となれば、やはりあの「伯爵」でひと休みすることにしよう。

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 西口の北寄りのガード(東口へ抜ける)脇のビルに「珈琲専門館 伯爵」と掲げた喫茶店が随分前から存在する。以前、無意識に入ったような気もするが、前々からこのエッセーで取材したい、と思っていた店の一つだ。
 時は夕刻の5時、2階の広々とした店内は大方の席が客で埋まっている。窓際の席を見つけてアイス珈琲を注文すると、向かい合った隣席の中国系の青年は携帯パソコンの画面で黙々と打ちこみに励んでいる。何やらビジネスをしている、といった感じだ。その向こうの男女は、派手な容貌の女性と聞こえてくる若干チグハグな会話から察して、キャバクラ嬢との店外デート......といったセンかもしれない。窓外に目を向けると、ちょうど目の前が東口へ抜けるガードの入り口。そういえばガード口の壁に、ひと頃まで映画館の看板がずらっと並んでいたものだったが、いまやすっきりした佇まいになっている。あの映画看板群はいつ頃取っ払われたのだろう?
 ところでこの「伯爵」、入ったときから、六本木の東京ミッドタウンの向かいにある「カフェ・ド・巴里」って店の雰囲気に似ている......と思っていたら、メニューの裏の系列店の所にその名がクレジットされていた。
 店の歴史を伺おうとレジに行くと、竹田さんという支配人の青年(若い中年か?)がやさしく応対してくれた。
「社長に詳しいこと聞いて、ファックスでもお送りしますよ」
 後日、実にていねいな文書が送られてきた。
「店の創業は35年前だそうです。練馬に1号店を作り、その後巣鴨・池袋北口(当店)・池袋東口の順番で店を作ったそうです。余談ですが、1号店の練馬店は漫画『タッチ』の1シーンに登場します」
 へぇー。そして「伯爵」の由来は――
「優雅でゴージャスな店をめざして創業したため、貴族の爵位を名称に採用したのだそうです。『男爵』『子爵』『公爵』など沢山ある爵位の中で何故『伯爵』なのか? 社長にそれを尋ねてみたところ、『音がやわらかい』の一言を頂きました」
 達者な文章(手書きで「爵」なんて字まで正確に記されている)なので、敢えてそのまま引用させてもらった。ここに書かれてはいないが、70年代後半の当時、他に「珈琲男爵」とか「珈琲大使館」(以前取材)とか、大それたネームが業界でハヤッた時代でもあった。
 ちなみに、『タッチ』に登場した練馬の1号店は、現在「カフェ・ド・巴里」として営業されているらしい。

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泉麻人
著者プロフィール

泉麻人(いずみあさと)
1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。東京に関する著作を多く著わす。
近著に『50のはえぎわ』(中公文庫)『お天気おじさんへの道』(講談社文庫)『シェーの時代』(文春新書)などがある。