珈琲 青木堂(須田町)
須田町オールディーズ
〈夢の下町バス〉なんて愛称が付いた都バスが、東京駅の丸の内口から出ている。重厚な銀色のボディーに丸窓を入れた、ちょっとレトロ調のなかなかシャレたデザインのバス。浅草あたりで見掛けた人も多いかもしれない。先日、都バスのフリーペーパーの仕事でこのバスに乗る機会があった。
東京駅から日本橋、神田、上野、浅草を通って終点は両国なのだが、撮影をするため須田町で途中下車した。万世橋の上で川を眺めるスカしたポーズをきめて、ここで写真撮影は終わり。スタッフと別れて、あとは一人で両国の方まで乗車する。ちょうどお昼時だったので、贔屓にしている松栄亭でオムライスを腹に入れ、まだ次のバスまで時間があるので、どこか喫茶店で一服しよう......と須田町交差点まで歩いてきたとき、目新しい店を発見した。
南西側の角っこの2階屋。〈珈琲 青木堂〉と素朴な看板が戸際に出ている。ここは以前に訪ねた相子さんの喫茶店にも近い所だが、こんな目につく場所に喫茶店なんかあっただろうか? 入ってみると、八畳くらいの小さなスペースにテーブルが二つ三つ。そして、隅の一画にカバンや傘が陳列されている。
「そう、ウチはちょっと前までカバン屋だったんですよ。この6月から喫茶店を始めたんです」
カウンターの人の良さそうなマスターが説明してくれた。
へぇ、なかなか面白そうな店である。この日はバスの時間も迫っていたので、アイスコーヒーを飲んでほどほどに引きあげて、後日再訪した。宿酔気味の午前中、朝飯をぬいてきたので、モーニングセット(トースト、ゆで卵、珈琲)を注文、トーストを噛りながらマスターと夫人(以前喫茶店に勤めていた彼女の方が実質的なリーダー)のお話を伺った。
「カバン屋を開店したのは昭和25年、この建物自体は戦前からで、パン屋さんが入っていたと聞きます」

なるほど、外壁や内装は新しいけれど、2階へ上る階段の途中に大きな納戸が設けられ、構造はいかにも昔の商店建築である。ちなみに2階は喫茶スペースではなく、トランクからポーチまで、カバンがずらりと並んでいる。
「売れ残った在庫品を並べただけなんですけどね」
マスターの家は戦前、両国の緑町でオモチャ屋を営んでいた。
「3月10日(昭和20年)の空襲で焼けちゃったんですよ。品物は日本人形が中心だったそうだけど、鍾馗(しょうき)様の人形が焼け残って、それを子供の頃の節句にじいちゃんからもらったことを憶えています」
57歳のマスターは、両国の中学校であの北の湖と同窓だったらしい。
「いまも緑町のもとの家の所に住んでいるんですけど、昔はこの靖国通りを都電が一直線に走っていて便利だったんですよ」
緑町と須田町の間は25番(昭和43年廃止)と29番(昭和47年廃止)、2本の都電が走っていた。さらに須田町は交差する中央通りの方にも5路線くらいの都電が走行していて、小学生の頃、交通博物館に行くときに眺めた"都電の行列"の景色がいまも目の底に焼きついている。
ところでマスター、てっきり青木さん、と思っていたら、頂いた名刺の姓は大塚さん。実は「青木堂」の屋号は、先々代がオモチャ屋を開く前に奉公していた金物屋の店主の名を拝借したのだという。

話がひとくぎりついたとき、青木堂の大塚マスター、隅のレコードプレーヤーにLPをセットした。流れてきた曲は、50'sドゥーワップの名曲、フランキー・ライモン&ティーンエイジャーズの「ホワイ・ドゥ・フールズ・フォール・イン・ラブ」。この時代のアメリカン・オールディーズがお好みのようだ。
窓越しに見える向かいのクラシックなビルの景観に、オールディーズ・ポップスのBGMがよく似合っている。
「古い羅紗屋さんのビル。この辺はひと頃まで生地関係のお店が多かったんですよ」
趣きのあるビルの手前の通りに、もう一度都電を走らせたい気分になってきた。


