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カフェ ビィオット(神田)

旧町名地帯でコーヒーブレイク

 本郷で取材をすませた後、丸ノ内線で淡路町に出てきた。多町大通りに入ると、すぐ左手にこのエッセーの初回(『読売ウイークリー』連載時代)で取りあげた喫茶「AIKO」がある。店主のおばあちゃんが高齢になったため、閉業したと聞いていたが、古めかしい看板建築の建物はまだ健在でホッとした。その先のミルクホール「サカエヤ」も、銅板張りの昔ながらの建物で営業している。ここも取材してみたい店の一つなのだが、いまはラーメンなどの軽食が主流のようだから、ちょっとこのエッセーの範疇からは外れる。
 熱中症の警戒レベルも高い蒸し暑い日、散歩するにはしんどい日和だが、神田駅を突っ切って、旧町名が並ぶ界隈に入った。上に神田の名を付けて、東松下町、富山町、紺屋町、北乗物町......といった小さな区割の町が続いている。大方は最近のビル建てになっているものの、金物、印刷、そして医療、薬品関係の問屋が目につく。この辺に医療系の問屋が多いのは、御茶ノ水周辺の病院群との関連だろうか。
 北乗物町の古い平屋の壁に、以前にも見た「北乘物町」という旧字遣いの琺瑯引き町名表示板の存在を確認、その先の神田美倉町にある「カフェ ビィオット」に入った。ここも数年前、神田の旧町名地帯を歩いたときに立ち寄ったおぼえがある。
 6階建てのビルの1階に、広い窓をめぐらせた瀟洒な佇まい。Roasted café Blende......と英字が記された看板に〈1973〉と創業年が表示されている。戸際に覗き見える冷蔵庫に、グレープフルーツやチーズケーキが陳列された様もそそられる。

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 カウンター席について、暑い日なので迷わずアイスコーヒーを注文した。ランチ時で、旨そうなサンドイッチをつまんでいる人や、冷蔵庫に入っているチーズケーキを味わっている人が目につくけれど、本郷で食事をすませてきてしまったので、ちょっと腹に入りそうにない。店内にはソフトなジャズが流れ、カウンターのなかでは3人の若い男女が立ち働いている。
 コクのあるおいしいアイスコーヒーを味わいながら、しばらく外景に目を向けていた。ちょうど向かいのビルに外階段があって、そこでひっそりタバコを喫うサラリーマンの姿が見える。社内禁煙のオフィスが入っているのだろう。少し経って、また目を向けると、外階段の同じ場所で別の男がケータイ電話を耳に当てていた。目の前のバーテンダーにエッセー取材の件をおずおずと告げると、彼は快く承諾してくれた。メガネをかけた理知的な青年は、どうやらこの店の2代目らしい。
「先代が5月に引退しまして、下北沢の方に住んでるんですけど、きっとヒマにしてますから、電話でもかけてみてください」
 番号を伺って、仕事場に戻ってから電話をかけてみた。
 先代と聞いて、枯れた老人の声をイメージしていたのだが、受話器越しの声色は思ったより若々しい。ま、2代目(息子)の彼がせいぜい30前後の年格好だったから、団塊の世代くらいの人なのだろう。
「26か7のときに、PR会社を辞めて喫茶店を始めたんですよ。それが1973年、ちょうど脱サラして商売するのがハヤッた頃」
 創業者の正能(しょうのう)明さんは浅草・竜泉の生まれ育ちで、家業はラーメン屋だったというから、もともと飲食業には縁があったのだろう。
「最初の店は八丁堀、それから虎ノ門、神田の東松下町と移って、4軒目のここで20年ちょっとになります。町にこだわったというより、つきあいのある信用組合の集金区域の関係なんですよ。一つこだわりといえば、オフィス街で店をやりたかった。ウチがラーメン屋で土日も忙しかったから、せめて土日は家族と過ごせるオフィス街にしようって......」
 というわけで、この店はウィークデーのみの営業。確かに、土日のこの界隈は閑散とした町になる。

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 ところで、ちょっと意味がわからなかったのが、店名のビィオット。
「南フランスのプロバンス地方の町なんですよ。昔、ノンノか何かに紹介されていて、景色が気に入って使っちゃった。まだ行ったことないんで、こんど旅行しようと思ってます」
 ノンノ、といったとき、横にいた夫人らしき人の小声が聞こえ、アンアンと言い直したのが微笑ましかった。ビィオット――アンアン読者だった奥様の意見が反映された店名......のような気がした。

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泉麻人
著者プロフィール

泉麻人(いずみあさと)
1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。東京に関する著作を多く著わす。
近著に『50のはえぎわ』(中公文庫)『お天気おじさんへの道』(講談社文庫)『シェーの時代』(文春新書)などがある。