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イノダコーヒ東京大丸支店(東京駅)

ボルセナの謎を探る

 京都のイノダコーヒについては以前紹介した(単行本にも収録)けれど、京都に行かなくても近頃は東京駅の大丸に支店が入っている。八重洲ブックセンターに本を物色しにきたとき、あるいは新幹線で出張する直前(さすがに京都へ行くときは入らないが)などに僕はよくここで珈琲を一杯やる。
 大丸は多くのフロアーに喫茶店が入っているけれど、イノダコーヒがあるのは8階。八重洲側に面した横長の窓に広がる外景は、京都の本店とはまた違った魅力がある。サロンパス、昭和の天ぷら粉、ひと昔前まで巨大なトラクターのオブジェを載っけていたヤンマー、他ではあまり見掛けない中山式胃腸腹巻......と、向こうのビルの屋上に掲示された看板群の観察が面白い。そして、喫煙家にとっては、店のすぐ横に眺望のいい喫煙ルームが設備されているのもありがたい。
 そんな大丸のイノダコーヒの店内は、臙脂(えんじ)系のおちついた色調で装飾され、京都と同じく、臙脂のベストを着たウエートレス、白いジャケットに蝶タイを結んだウエーターがきびきびと立ち働いている。
 平日のお昼時、窓際のカウンター席には単身のOLが目につき、僕の近くのテーブル席からは関西弁のビジネスマンの話し声が聞こえてくる。ここ東京駅のイノダも、どことなく京阪神のお客が多い......という印象をもっているのだが、ま、その辺はイメージが先行したものかもしれない。
 ランチタイムということもあって、スパゲッティーやビーフカツサンドを食べている客が目につく。ちなみにイノダのスパゲッティーは2種――一つは「イタリアン」の名が付いたいわゆるナポリタン、そしてもう一つ、白いホワイトソース風味のものには「ボルセナ」の名が付いて、僕はコレを贔屓にしている。クラシックな銀器に盛られたボルセナは、麺とハム、タマネギをホワイトソースで和えた......カルボナーラの一種ともいえるが、タマゴが使われていないその味は、昔ながらのマカロニグラタンの中身(焼き皮の下)に近い。本格的なカルボナーラより、むしろこの和製洋食風の味が気に入っている。

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 ところで、何度も味わっているボルセナ、いまだ僕はその名の由来を把握していない。以前、京都の店でちらっと伺ったような気もするが、忘れてしまった。いや、確かそのときは大した回答が得られなかったはずだ。
 好みのアイスコーヒーを飲みながらボルセナを完食し、入り口で客の誘導をする白服のウエーターに尋ねた。育ちの良さそうな童顔気味の顔だちの彼は、昔よく白服に蝶タイ姿でバラエティー番組に出ていた、若い頃の谷啓にちょっと似ている。
 当日くわしいことはわからなかったが、この店は大丸東京店のテナントということもあって、後日広報の方を通じてイノダコーヒ本部のコメントがFAXされてきた。これがなかなか面白い。
「創業者の猪田七郎と触れていないスタッフが増える中、昔から居るスタッフや資料をあさり調べを入れましたが、ごめんなさい、真偽はわかりませんでした」
 と、前提した後、ぼんやりと口承されているのは、ローマ近くのラツィオ州にあるボルセナの町にまつわる説だという。ここには、透明度の高い美しい湖として知られるボルセナ湖があり、また「ボルセナの奇跡」の伝説をもつ聖クリスティーナ教会がある。
 ボルセナの奇跡――とは、ミサの聖体拝領の儀式の際、パンの割れ目から血が滴って聖体布を赤く染めた......という、有名なキリスト伝説だ。話こそ知っていたけれど、ボルセナの土地の名とは結びつかなかった。透明な湖、清浄なパンや聖衣を白(ホワイトソース)で表現した、というところだろうか。

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 うーん、しかし、こちらの白いボルセナに凝った由来らしきものがある一方、赤いナポリタンはただ「イタリアン」ってのも、両者のギャップがなんだか微笑ましい。
 ボルセナという町、いつか訪ねて現地のスパゲッティーを味わってみたいものだ。
 

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泉麻人
著者プロフィール

泉麻人(いずみあさと)
1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。東京に関する著作を多く著わす。
近著に『50のはえぎわ』(中公文庫)『お天気おじさんへの道』(講談社文庫)『シェーの時代』(文春新書)などがある。