52

スプーンハウス(明大前)

美しいホットケーキ

 明大前はいつも通りがかる駅だけれど、しばらく降りたことがない。その名のもとは駅の北口にある明大の和泉校舎だが、もはや明大前という"前付き"の呼び名が、このあたりの地名のように定着している。
 明大の予科がここに置かれたのは昭和9年。いまの井の頭線(当時・帝都電鉄)が開通したのも同じ年のことだ。実は当時、もう1本明大前を通る鉄道が計画されていた。山手急行電鉄という線で、大井町から自由が丘、明大前、中野、下板橋......ぐるりと環状して州崎(現・東陽町)のあたりまで行くという、第2山手線的なルートだったが、昭和恐慌や戦争などの事情で実現しなかった。
 その名残りのポイントがあると知って、まずはそこへ行ってみた。明大の門脇から旧玉川上水の緑道へ入ると、まもなく玉川上水橋という古めかしい橋に差しかかる。下の切り通しを走るのは井の頭線。横断する玉川上水を渡すための水道橋だったのだ。それはともかく、先の側道の方から眺めると、橋脚の下の井の頭線の脇に、もう2本ほど線路が敷けるようなスペースがある。なるほど、ここに山手急行電鉄を通す予定だったのだ。
 マニアックな鉄道遺構を見物して、さて今回目当てにしてきたのは、南口の松原にあるという、ホットケーキが評判の喫茶店。京王線ホームの西の踏切を渡って、松原大山通りと名づけられた道を南下すると、右手に「スプーンハウス」という店がある。ガラス窓に様々なライブのチラシが張り出され、佇まいは喫茶店というより洋風居酒屋を思わせる。

03spoonhouse3.jpg

 カウンターのなかに初老のマスターがいて、店内にはクラシックが緩やかに流れていた。メニューをみると、前面に〈この店の自慢!〉と銘打って、ホットケーキの品目がずらりと並んでいる。小倉にプリン、イチゴ......と付いたものもあるけれど、そういうクレープ調のやつは僕の好みではない。ここはやはり、バターと蜜だけのプレーンを注文しよう。
 ホットケーキは注文を聞いてから焼き始める......ということで、少々時間が要る。出来あがりを待ちながら壁を見渡すと、ヨーロッパの風景画、エジプトのパピルス画、クラプトンの写真......といった諸々が小さな額縁に入れられて雑然と飾られている。こういった装飾にはあまりこだわりのない店なのだろう。
 珈琲とともに運ばれてきたホットケーキを一見して、まずその厚みに驚いた。円の直径は10センチ余りだが、ゆうに2センチはあるぶ厚いホットケーキが2枚重なっている。全体のシルエットも、きっちりした円筒型で、焼皮の食感はパリッ、なかは見事にふんわり仕上がっている。ランチのつもりで腹を空かしてきたこともあって、あっという間に平らげてしまった。
 このホットケーキは、ただフライパンに水粉を流しこんで作れるものではないだろう。厨房を覗くと、専用の鉄板とホットケーキ用の円型のカタが置かれていた。
「ホットケーキはやり始めて長いんですよ。大学を卒業して、すぐに『珈琲館』にちょっと勤めて、それから下高井戸にあった『すぎ』って店のホットケーキの名人に教わったんです。その人は昔『虎屋』でドラヤキを作っていた方でね、スポンジ物の天才って呼ばれてたんですよ」
 ちなみに「すぎ」は現在八幡山で営業しているらしい。ホットケーキには、京王沿線の系譜が存在するのかもしれない。

03spoonhouse2.jpg

 マスターがこの店を開いたのは平成元年。大卒後「珈琲館」に勤めたのが昭和47年頃というから、ちょうど団塊の世代くらいの人なのだろう。
 ところで、この店の並びにちょっといい感じの教会が立っている。建物はいまどきのビル建てだけれど、名前は朝顔教会。かつては朝顔の植えこみなどが門前に続いていたのかもしれない。
 松原大山通りの少し先には、明大(和泉校舎)よりも歴史の古い、明治18年創設の日本学園がある。校門の向こうに、立派なアゴ髭をたくわえた創立者の銅像が見えるこの学校、見憶えがある。小学3、4年生の頃、近くにイトコの住む銀行寮があって、そこへ遊びに行くとき、いつもこのあたりで頭が痛くなったのだ......事情はともかく、奇妙な思い出が甦ってきた。

トップに戻る
泉麻人
著者プロフィール

泉麻人(いずみあさと)
1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。東京に関する著作を多く著わす。
近著に『50のはえぎわ』(中公文庫)『お天気おじさんへの道』(講談社文庫)『シェーの時代』(文春新書)などがある。