51

がまぐちや(湯島)

天神前の絶品プリン

 友人が上野池之端のマンションに住むようになってから、湯島あたりでよく飲み食いする。贔屓にしているのは天神下の「シンスケ」。名居酒屋として知られた所だが、厨房脇に樽の両関がどかんと置かれていて、きつねラクレット(チーズを詰めた油揚)なんて、斬新なメニューも取りこんだ酒肴はどれも申し分ない。
 と、これは夜の湯島の話だけれど、このあたりは昼間の散歩も面白い。シンスケの裏筋に入ると、歴史を感じさせる木造の町屋がまだぽつぽつと残っている。昔風の「ほねつぎ」の看板を掲げた接骨院を横目に路地を奥へ行くと、急な石段に突き当たる。これを上ると湯島天神の境内。菅原道真を祭神にしていることから、受験の神様として知られているが、「講談講座発祥の地」とか「新派の碑」とか「奇縁氷人石」とか、興味深い石碑がいくつも置かれている。
 奇縁氷人石――というのは、江戸時代のいわば"迷子の伝言板"。石柱の右側に〈たづねるかた〉、左側に〈をしふるかた〉と刻まれていて、右の方に迷子人の名や特徴を記した紙を張り出すと、心あたりのある者が左の方にその情報を寄せる......といった仕組み。これと同じものが日本橋の一石橋の際にも保存されている。つまり、日本橋と同じく湯島天神は人が集まる場所だったというわけだ。

02gamaguchiya.jpg

 湯島天神にはいくつかの入り口があるけれど、御茶の水の方から来る南参道の門前に、「がまぐちや」という面白い名前の喫茶店を見つけたのは、ことしの正月明けの頃だった。そのとき、店の人と客の会話から「もとの商いが財布などを売る店だった......」と聞いていたが、一度じっくりお話を伺いたいと、再びやってきた。
 一度目の再訪日、前に見掛けた老女よりもずっと若い女性がカウンターに入っていた。珈琲を注文して、店名の由来を尋ねると、がまぐちというのは今様の財布ではなく、どうやら和装の巾着袋の類を生産していた家だったらしい。
「歌舞伎座や新橋演舞場なんかの劇場に卸していたそうですよ。職人のオヤジさんが亡くなって、34年前におかみさんが喫茶店を始めたんですが、昔の商いを名前に残そうってことで、がまぐちやって付けた......」
 由来はともかく、そのときメニューに見つけた「特製 プリン」というのに僕は反応してしまった。
「おかみさんが一から手作りするんですけど、今日は体調が思わしくなくてちょっと......」
 サポートの女性のそんな話を聞くと、ますますこのプリンが食べたくなってきた。電話番号を伺って、「プリンが出来ている」という日に再々訪することになった。
 開店まもない午前9時の店内は、早くも常連客で混み合っていた。本日はおかみさんがカウンターに入って、ひとりで忙しく立ち働いている。朝飯を抜いてきたので、まずモーニングセット(トースト、ゆで卵、珈琲)を注文し、食後のデザートに念願のプリンを頂いた。チャーミングな銀皿(ステンレス)に盛りつけられた佇まいは、幼い頃、デパートの食堂で食べたプリンを思わせる。プリンはもちろん、まぶされたカラメルとクリームは市販では味わえない上品な甘さが感じられる。
「作るときは一度に10個。冷蔵庫にその数しか入らないんですよ」
 おかみさんに店の歴史を改めて伺うと、巾着袋の店は当初本郷で始まって、昭和初めにここに移ってきたという。そういえばこの建物、2階の外壁の戸袋に飾り模様があしらわれた、震災後にハヤッた看板建築の佇まいをしている。

02gamaguchiyas.jpg

 窓辺に見える門前通りに目をやると、外は雨が降り出したようだ。
「コレ、借りてくね?」
 どんな職種の人なのかよくわからない、客の一人が、戸際の備えつけのカサを手に出ていった。

トップに戻る
泉麻人
著者プロフィール

泉麻人(いずみあさと)
1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストに。東京に関する著作を多く著わす。
近著に『50のはえぎわ』(中公文庫)『お天気おじさんへの道』(講談社文庫)『シェーの時代』(文春新書)などがある。