ベースキャンプ(新御徒町・佐竹通り)
2番目に古い商店街
本の刊行に合わせて、また喫茶店探訪を始めることになった。よろしくお願いします。
さて、復活第1回目はどこへ行こうか......。そうだ、佐竹商店街のあの店はまだこのコラムでは書いていない。佐竹に行くには、大江戸線の新御徒町駅が近いけれど、最近気に入っているのは浅草橋からのアプローチ。蔵前の方へ上っていって、「ゴム風船専門店」なんていう面白い問屋や老舗のヘビ屋「蛇善」を覗き見して、鳥越神社裏筋のおかず横丁へ入る。昔の神社の門前通りと思しきこの道には、その名のとおり、おかず(惣菜)を立売りする店や酒屋に茶舗、変わったところでは象牙屋......と、昔ながらの商店が軒を並べている。「清浄野菜」なんて面白い看板を出した八百屋さんもある。
清洲橋通りに突きあたって、ちょいと右手に行くと、傍らにアーケードを被せた佐竹通り商店街が口を開けている。マス目状に区画されたこの辺の道筋のなかで、佐竹通りは表の清洲橋通りの裏に廻りこむように、湾曲した入り口になっているのが面白い。洞穴に潜りこんでいくような気分になる。
そんな通りの南側の入り口に「ベースキャンプ」という珈琲豆の店がある。豆売りが主体の店だが、奥にテーブル席が置かれていて、豆を買ったお客に好みの珈琲を振る舞ってくれるのだ。久しぶりに訪ねた僕は、うっかり喫茶店と思いこんでいて、豆も買わずに奥の席についてしまった。が、マスターは僕の顔を憶えてくれていて、やがて好みの大江戸ブレンドが運ばれてきた。
そう、以前ここに来たのは東京新聞の町歩きコラムを書いていた2006年3月11日。なぜそんな細かい日付を憶えているかというと、テーブル横の壁にそのとき僕が記した色紙が記事の切り抜きとともに張り出されている。
当初、ベースキャンプの名に"米軍流れの珈琲豆"のような由緒を想像したものだが、これは単にマスターが"登山やキャンプ"を趣味にしているのがネタ元らしい。
美人の奥さんと二人で店をやるマスターの手塚雅太郎さんは61歳。珈琲豆屋を始めたのは6年前のことだが、ずっとこの町で育った人なのだ。
「初代がこのちょっと先で店を始めたのが明治時代。そこから数えると116年になります。私の知るところでは、時計屋、小間物屋、オヤジが戦後に一度喫茶店をやったり、いろんな商売をやってきたんですよ」

ところで、佐竹商店街にはシンボルのフクロウのイラストとともに様々なキャッチフレーズの垂れ幕が出ていて、なかの一つに〈日本で2番目に古い商店街〉なんてのがある。1番が金沢の片町で、2番目のここは明治31(1898)年に誕生したらしい。まてよ......計算してみると商店街の誕生は112年前になるから、この手塚商店の方が4年古いことになる。
ちなみに佐竹の名は、かつてこのあたりにあった出羽国久保田藩主・佐竹家の屋敷に由来するもので、昭和30年代頃までは「佐」を取った「竹町」の町名が付いていた(いまの新御徒町駅の所が都電の竹町停留所だった)。
「ちょっと浅草橋の方に行った蔵前橋通りの交差点のあたりは歓楽街でね、映画館が並んでた。東映のチャンバラ映画なんかをやる鳥越映画、その向かいが洋画のロマンス座、ここはその後ロマンポルノの劇場になって閉まっちゃった。うちのすぐ先の通りを御徒町の方に行ったところにも新東京って東宝の映画館があって、ゴジラなんかを観たもんですよ。この辺の人はいまだに新東京通りって呼んでます」
もはや映画館一つ残っていないが、佐竹通りの裏筋には、森永の古びた看板を出した菓子屋をはじめ、緑青を帯びた看板建築の商店が所々に見られる。ぐるりと裏道を廻って、佐竹通りの北口までやってくると、ひと頃まですぐ先の交差点に、巨大な「ぢ」の看板を掲げていたヒサヤ大黒堂も、いつしかなくなってしまった。


