東京日記

川上弘美 絵 門馬則雄
第129回

虫のいろいろ。

十一月某日 晴


 先月までは、まだほんの少しだけ夏の名残があったのだけれど、十一月になり、さすがに秋も深まってきている。
 川沿いを、散歩。
 帰ってからうがいをしようと洗面所の鏡の前に立つと、頬に何か黒っぽいものがくっついている。よく見ようと鑑に近づくと、それは、一匹の蚊であった。
 ほっぺたを、刺そうとして、けれどそのまま力つきてしまったらしい。
 「死んでますか」
 と、小さな声で聞いてみたが、返事はない。
 指先で、かすかにふれてみるが、固まったまま動かない。
 ふん、と、ほっぺたをふくらませたら、蚊は、白い洗面台にばらっと落ち、そのまま水に流されていった。

 

十一月某日 晴


 夜中、ふと目覚める。
129a.gif 手元灯をつけると、壁に何かがいる。
 ごきぶりである。
 小さく叫ぶと、ごきぶりは少し動いた。けれど、その動きはとてもにぶい。
 こわごわティッシュでつかむと、かんたんにとれた。
 ほんとうに秋は深まっているのであるなあと嘆息しながら、静かにごきぶり入りティッシュを、台所のごみ箱に捨てにゆく。

 

十一月某日 雨


 居酒屋に行く。
 鯛の頭の焼いたのを食べる。
 こまかな骨がいっぱいだけれど、おいしいので、しゃぶりつくす。
 同席のひとに、
「カワカミさんのしゃぶった骨、いいつやが出てますね」
 と言われる。

 

十一月某日 晴


129b.gif 電車に乗る。
 名門女子小学校の女の子たちが、乗ってくる。学校帰りらしい。
 どの女の子も、大きな紙袋を持っている。
 グッチ。エルメス。セリーヌ。シャネル。
 それぞれの袋の中には、プラスチックの虫かごが入れられており、各虫かごには、一匹ずつカマキリが入っている。女の子たちは、高級紙袋から、ときおり虫かごを出しては、それぞれのカマキリをじいっと眺めている。
「そっちの茶色いの、死んでいるじゃないの」
「そっちこそ、体おっきいけど、弱そう」
 小さな声で、女の子たちは言い合う。カマキリは、どれも固まったように、じっとしている。しばらく言い合うと、女の子たちは飽きたのか、カマキリをそれぞれのグッチ・エルメス・セリーヌ・シャネルに戻した。カマキリは、どれも最後まで、動かずに固まっていました。


 

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  • 第128回  部長。
  • 第127回  コウモリに注意。
  • 第126回  ボウタイつきブラウス(ピンク)。
  • 第125回  失恋。
  • 第124回  何もかもが、そっくり。
  • 第123回  外国。
  • 第一回  いまそがりの部屋(1)
  • 第122回  予想は、つきませんでした。
  • 第121回  ソリティア断ち。
著者略歴

川上弘美(かわかみ・ひろみ)
作家。1958年、東京生まれ。著書に、『蛇を踏む』(芥川賞受賞) 『センセイの鞄』(谷崎賞受賞) 『神様』 『ハヅキさんのこと』 『真鶴』(芸術選奨文部科学大臣賞受賞)『風花』 『東京日記 卵一個ぶんのお祝い。』『東京日記2ほかに踊りを知らない。』ほか多数。
最新刊「東京日記3 ナマズの幸運。」も、好評発売中。

平凡社

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