第27回 「神論はなぜ難しいか」
●神論はなぜ難しいか
キリスト教神学の要はキリスト論である。しかし、キリスト論は、神論を理解しないとわからない構成になっている。過去数回の連載でおわかりのように神論は極めて難解である。それは、人間と神が隔絶した存在であり、限界がある人間の知識では、神を認識することができないからだ。中世以降、何度も試みられた「神の存在」に関する証明は、すべて誤っている。それは、限界がある人間の知性で、「神の存在」を証明するという設問自体が間違えているからだ。また、人間によって存在すると考えられるような神は、人間の頭の中で組み立てられた偶像である。従って、「神の存在」証明は、人間を偶像崇拝に導いてしまう危険性がある。
重要なことは、神についてわれわれが論じることではなく、神がわれわれについて何を述べようとしているかについて耳を傾けることだ。この神の声が超越性なのである。
神論において、これまでの連載で、神が主であることを始原とし、そこから神の愛を導き出した。そして、神が主であることの属性、神が愛であることの属性について、現在、説明を進めている。率直に言って、これはプロテスタント・スコラ主義の伝統を引く、かなり些末で無味乾燥な議論だ。しかし、それを通じて、神学者たちが超越性について語りたかったのだという視座から見れば、神論をめぐる議論に命がはいる。
※この連載へのご意見、ご感想、またキリスト教神学に関して佐藤優さんに聞いてみたいことなどありましたら、件名に「佐藤優さん」とご記入のうえ、webmagazine@heibonsha.co.jpまで、お寄せください(件名が無題の場合、無事にお届けできない場合がございますので、ご注意ください)。
(2008年12月 1日更新)


