第24回 「「主」である神の属性(二)全知、遍在」
●神の全知、遍在
神の全能の中に、神の全知と遍在が含まれる。
神は全能であるから、その中には全知も含まれる。従って、神は人間についてすべてのことを知っている。たとえば、人間が神に対して嘘をついても、それはただちに見破られてしまう。同時に、人間が自らの知的限界に悩んでいても、全知の神がすべてを配慮し、人間を正しい道に導いてくださる。だからこそ、人間は安心して自らの現実存在を神に委ねることができるのである。神の全知は、神に対する恐れと信頼という両義的感覚を人間に与える。
この世界は、神によって創造されたものである。それだから、神はこの世界のどこにもいる。これを伝統的神学は、神の遍在ととらえた。例えば旧約聖書の詩編第139篇が神の遍在を示している。
〈【指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。】
主よ、あなたはわたしを究め
わたしを知っておられる。
座るのも立つのも知り
遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
歩くのも伏すのも見分け
わたしの道にことごとく通じておられる。
わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに
主よ、あなたはすべてを知っておられる。
前からも後ろからもわたしを囲み
御手をわたしの上に置いていてくださる。
その驚くべき知識はわたしを超え
あまりにも高くて到達できない。
どこに行けば
あなたの霊から離れることができよう。
どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。
天に登ろうとも、あなたはそこにいまし
陰府に身を横たえようとも
見よ、あなたはそこにいます。
曙の翼を駆って海のかなたに行き着こうとも
あなたはそこにもいまし
御手をもってわたしを導き
右の御手をもってわたしをとらえてくださる。
わたしは言う。
「闇の中でも主はわたしを見ておられる。
夜も光がわたしを照らし出す。」
闇もあなたに比べれば闇とは言えない。
夜も昼も共に光を放ち
闇も、光も、変わるところがない。
あなたは、わたしの内臓を造り
母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
わたしはあなたに感謝をささげる。
わたしは恐ろしい力によって
驚くべきものに造り上げられている。
御業がどんなに驚くべきものか
わたしの魂はよく知っている。
秘められたところでわたしは造られ
深い地の底で織りなされた。
あなたには、わたしの骨も隠されてはいない。
胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。
わたしの日々はあなたの書にすべて記されている
まだその一日も造られないうちから。
あなたの御計らいは
わたしにとっていかに貴いことか。
神よ、いかにそれは数多いことか。
数えようとしても、砂の粒より多く
その果てを極めたと思っても
わたしはなお、あなたの中にいる。
どうか神よ、逆らう者を打ち滅ぼしてください。
わたしを離れよ、流血を謀る者。
たくらみをもって御名を唱え
あなたの町々をむなしくしてしまう者。
主よ、あなたを憎む者をわたしも憎み
あなたに立ち向かう者を忌むべきものとし
激しい憎しみをもって彼らを憎み
彼らをわたしの敵とします。
神よ、わたしを究め
わたしの心を知ってください。
わたしを試し、悩みを知ってください。
御覧ください
わたしの内に迷いの道があるかどうかを。
どうか、わたしを
とこしえの道に導いてください。〉(詩編第139篇1~24節)
●詩編第139篇の解釈
これはダビデ王が神に対する信頼を告白した詩である。
ダビデは、神がダビデの立つこと、座ること、歩くこと、伏すこと、さらに話す内容までも事前に知っているということを明らかにする。
〈前からも後ろからもわたしを囲み
御手をわたしの上に置いていてくださる。
その驚くべき知識はわたしを超え
あまりにも高くて到達できない。〉
ということは、ダビデの神に対する全面的信頼だ。人間の知恵が神を凌駕することはできない。神と人間の間には、絶対的な、質的差異がある。
このことは同時に、人間が神から逃げられないということを意味する。その意味で、神は恐れの対象でもある。
〈どこに行けば
あなたの霊から離れることができよう。
どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。
天に登ろうとも、あなたはそこにいまし
陰府に身を横たえようとも
見よ、あなたはそこにいます。〉
誰も神の顔から逃れることはできない。神から逃れることなど考えずに、神の命令に服従することが重要になる。
人間は、生まれる前から神の計画によって創られているのである。そして、各人の人生も神の監視下に置かれている。このことを恐れるのではなく、感謝して受け止めることが重要だ。
〈胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。
わたしの日々はあなたの書にすべて記されている
まだその一日も造られないうちから。
あなたの御計らいは
わたしにとっていかに貴いことか。〉
というのは、ダビデの神に対する感謝と信頼である。
ここでダビデは現実の世界は、悪によって満ちていると考える。しかし、神はわれわれの世界の外部にいるので、この世界の悪に対する責任を負わない。悪に侵食されていない神がいるから、神を信じるわれわれは悪と闘うことができるのである。それだから、ダビデは以下の告白をするのだ。
〈どうか神よ、逆らう者を打ち滅ぼしてください。
わたしを離れよ、流血を謀る者。
たくらみをもって御名を唱え
あなたの町々をむなしくしてしまう者。
主よ、あなたを憎む者をわたしも憎み
あなたに立ち向かう者を忌むべきものとし
激しい憎しみをもって彼らを憎み
彼らをわたしの敵とします。〉
この世界に神は遍在している。しかし、それが神の全てではない。この世界や宇宙、さらに時間を超える神に対する信頼と服従をダビデは告白している。これが神学的な意味での神の遍在である。
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