佐藤優 : キリスト教神学概論

第13回 「神学の区分(二)歴史神学」

●    歴史神学

歴史神学は、以下の二つに区分される。

・教会史
・教理史

教会史では、キリスト教の起源と発展を歴史的に探究する。歴史的探究によって、歴史を貫くキリスト教の意義と一般史(すなわちキリスト教の立場から見たのではない歴史)との関係を明らかにする。純粋なキリスト教というものは存在しない。キリスト教は、すべて、時代的、地理的に限定された形で現れる。当然、個々のキリスト教は、特定の文化的色彩を帯びる。それでも、キリスト教を歴史や文化の中に完全に解消してしまうことはできない。キリスト教には、歴史や文化を超越する「何か」がある。この「何か」は、この世に現実に存在する諸教会を批判的に検討することで明らかになる。
 教理史は、教会によって承認された教理(教義)の形成、発展の過程を歴史的に研究する学問である。ちなみにカトリック教会、正教会には、教会が確定した絶対に正しい教義(ドグマ)がある。これに対して、プロテスタント教会では、それぞれの教会が自ら正しいと考える教理をもつが、他の教会はその見解を支持する場合もあれば、支持しない場合もある。教義が単数形(ドイツ語のdas Dogma)であるのに対し、教理は常に複数形(die Dogmen)である。ただし、個々のキリスト教徒が、何か面白い思想を思いついても、所属する教会の承認を得ていないならば、それは教理にはならない。
 このような個人が思いついたキリスト教に関する思索は、キリスト教思想もしくは宗教哲学の分野に属する。
 ちなみに20世紀最大のプロテスタント神学者であるカール・バルトは、後半生を主著『教会教義学(Die Kirchliche Dogmatik)』の完成に捧げた。この作品は、結局未完に終わったが、既刊分だけでもバルト神学の全体像が明らかになる。バルトが教義学にこだわったのは、カトリシズムのような絶対に正しい教義を確定しようとしたからではない。キリスト教神学の様々な言説が究極的に志向する内容が、一つの神による救済であることを示す、すなわち救済という一点において、キリスト教のすべての教理が収斂するということ、つまり神の国において、究極的に教理は単一の教義となるという意味をもたせたものと筆者は理解している。


〈演習問題2
 プロテスタント神学は、なぜ教義という概念を嫌い、教理という言葉を用いるのか。簡潔に記せ。(600字程度)〉

 

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(2008年7月20日更新)
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佐藤優
写真提供=共同通信社
【著者略歴】
1960年生。起訴休職外務事務官・作家。同志社大学神学部卒業。同大学院神学研究科終了。緒方純雄教授に師事し、組織神学を学ぶ。1985年に外務省入省。在英日本国大使館、ロシア連邦日本大使館などを経て、外務省本省国際情報局分析第一課に勤務。外交官として勤務するかたわら、モスクワ国立大学哲学部客員講師(神学・宗教哲学)、東京大学教養学部非常勤講師(ユーラシア地域変動論)を務める。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕。2005年2月、執行猶予つき有罪判決を受け、現在上告中。『自壊する帝国』(新潮社)で第38回大宅壮一ノンフィクション賞、並びに第5回新潮ドキュメント賞、『国家の罠』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞を受賞。『私のマルクス』(文藝春秋)、『獄中記』(岩波書店)など著書多数。

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