第10回 「日本キリスト教の精神的伝統(4)」
●五旬節(ペンテコステ)
新約聖書「使徒言行録」によれば、教会は、五旬節(ペンテコステ)のときに聖霊が降りてきたことを契機に始まりました。そもそも五旬節とは、大麦の初穂を献げる日から50日目にあたるユダヤ教の祭日です。キリスト教の場合、イエス・キリストが復活してから50日目に起きた、天から聖霊が降りてきた出来事を指します。
〈五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉で使徒たちが話をしているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおりまた、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。
すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。」〉
(「使徒言行録」第2章第1~16節)
霊は、ヘブライ語では「ルーアッハ」、ギリシア語では「プネウマ」、英語では「スピリット」、ドイツ語では「ガイスト」、ロシア語では「ドゥーフ」と言います。現代語の場合、これらの言葉に相当する訳語に「精神」があてられる場合が多いです。
霊とは、命を与える風を意味します。神は土から人間を創りますが、そこに風を吹き込むことによって命、すなわち精神が生まれるのです。ユダヤ教、キリスト教の人間観では、神が人間に息を吹き込んだことにより、人間は他の動植物がもたない精神という特権をもつようになったのです。
「使徒言行録」によれば、聖霊は、イエス・キリストが復活した後、40日間、地上を歩きました。その後、一旦、天に昇ります。さらに10日間経ってから、通算50日目に天から地上に再び降りてくるのです。
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