佐藤優 : キリスト教神学概論

第1回 「神の場所(1)-はじめに」

●はじめに

これからキリスト教の基礎知識に関する連載を始めます。連載の目的は、信仰を深めるということよりも、知的言語でキリスト教を理解することにあるので、表題は「キリスト教神学概論」としました。
 日本のキリスト教徒は、総人口の約1パーセントと言われていますが、実際にはそれを遥かに下回ると思われます。毎週日曜日に教会に通っている信者に関する正確な統計はありませんが、筆者の見立てでは、多く見積もって30万〜40万人くらいと思います。従って、総人口の0.3パーセント弱に過ぎません。
 もっとも、ドイツやイギリスなどのヨーロッパのキリスト教国と言われるところでも、毎週日曜日に教会に通っている信者は総人口の2〜3パーセントもいないと思います。ロシア人は、宗教感情が強い国民であると言われています。ロシア正教の教会では、ほぼ毎日のように宗教行事が行われていますが、日常的に教会に通っている信者は1パーセントもいないと思います。
 率直に言うと、全世界的に見て、キリスト教自体が「斜陽産業」なのです。近代の特徴は、聖なる領域がだんだん狭まって、俗なる領域に移行していくところにあります。キリスト教神学や、宗教学では、この傾向を世俗化と言います。


●私とキリスト教

 私は、1979年12月、京都の同志社大学神学部1回生のときにプロテスタント教会で洗礼を受けました。その後、キリスト教徒であるという自己意識をずっともっています。学生時代には、日曜日は、特段の事情がない限り教会に通っていました。外務省に入ってからも、仕事に支障がない限り、日曜日にはできるだけ教会に行くようにしました。
 私は、1987年8月から1995年3月まで、モスクワの日本大使館で勤務しました。1988年は、ロシアにおけるキリスト教導入千年祭で、ゴルバチョフ・ソ連共産党書記長は、従来の宗教抑圧政策を緩和しました。その前までは、一般のロシア人にとって、教会に通うことは、かなり勇気のいることでした。私は、モスクワでただ一つだけあったプロテスタント教会に通いました。マーリー・ブーゾフスキー・ペレウーロクという小さな通りに面している「福音主義キリスト教徒・バプテスト教徒の全連邦評議会」という名前の教会でしたが、入り口の金属板に教会の名称が書かれているだけで、十字架も立っていませんでした。そう広くない教会に800人くらいの信者が礼拝に参加していました。プロテスタントの教会ですから、椅子が置いてありますが、まったく足りず、半分近くの信者は立っていました。日曜日は、礼拝が3回行われ、それ以外に火曜日と木曜日の夜にも礼拝が行われましたが、いつも信者で一杯でした。教会の前には、ベージュ色のソ連製小型車ラーダ5型(1970年代のイタリア車・フィアットのコピーです)が停まっていて、KGB(ソ連国家保安委員会=秘密警察)の職員と思われる人々が、誰が教会に出入りするかを監視していました。こういう環境でしたが、このみすぼらしい教会に行くと、私はいつもそこに神がいると感じました。
 私は、大学と大学院では、チェコ(ボヘミアとモラビア)のプロテスタント神学を研究しました。外交官になってから、資料収集や調査のためにプラハやモラビアの田舎町の教会をときどき訪れました。チェコとポーランドの国境からそれほど遠くないところにホドスラビッツェという村があります。19世紀に活躍したチェコ民族の父と呼ばれたフランチシェク・パラツキー(1798〜1876)はこの村出身のプロテスタント教徒です。私は20世紀チェコでもっとも影響力があった神学者ヨセフ・ルクル・フロマートカ(1889〜1969)の研究をしました。フロマートカもこの村の出身です。私が初めてホドスラビッツェを訪れたのは、1988年3月のことでした。当時、チェコはまだ社会主義体制下にあったのですが、田舎では教会が農民の生活の中心になっていました。日曜日に突然、教会の礼拝に参加したのですが、そこで行われている礼拝の形式、歌う賛美歌のほとんどが、私が日本で慣れ親しんでいたのと同じでした。それまで日本人が誰ひとり訪れたことのないこの田舎の村の教会で、私は神を感じました。


●ユダヤ教徒の神とキリスト教徒の神

 1995年4月に東京に戻り、外務本省のインテリジェンス(情報部局)で働くようになってから、徐々に仕事でイスラエルとの関係が深くなりました。一緒に仕事をしたイスラエル人には、熱心なユダヤ教の信者もいれば、リベラルでユダヤ教にはほとんど関心を払わない世俗的なユダヤ人もいました。この人々と付き合ううちに、ユダヤ人が信じている神は、私が信じている神と同じだという印象を強くもつようになりました。1988年12月にエルサレムの「嘆きの壁」に額をつけたときに、その先に私が信じる神がいると感じました。
 東京に戻ってからも教会にはときどき通っていました。2002年1月半ば頃から、鈴木宗男衆議院議員と外務省の関係をめぐる疑惑の嵐が吹き荒れました。その嵐の渦に私も巻き込まれ、2002年5月14日に私は当時勤務していた外交史料館(東京都港区麻布台)で、東京地方検察庁特別捜査部により背任容疑で逮捕されました。メディアスクラムが組まれ、私に対するバッシングが激しくなってきたときに、周囲の人たちは私が自殺するのではないかと心配していましたが、そのような考えをもったことは一度もありませんでした。「命は、神様からもらったものなので、自分勝手に死んでしまうことは禁止されている」という子供の頃から、教会の牧師から刷り込まれていたことが、恐らく、影響を与えていたのだと思います
。


●ヨブ記

 逮捕され、小菅の東京拘置所独房に勾留されたとき、面会にきた弁護人にいちばんはじめに差入れを依頼したのが、日本聖書協会が発行する新共同訳の『聖書 旧約聖書続編つき 引照つき』でした。共同訳とは、カトリックとプロテスタントの新約聖書専門家が共同チームを作って翻訳した聖書を指します。キリスト教の聖書は、27巻の新約聖書と39巻の旧約聖書から構成されています。実は、それ以外に11巻のユダヤ教関連文書があるのですが、これを聖書に入れるか否かについては、キリスト教の教派間で見解の対立があります。この旧約聖書続編をあわせて読んだ方が、ユダヤ教とキリスト教の連続性がよくわかります。それから、引照とは、いま読んでいる聖書の語句が、他のどの場所にあるかを示しています。神学者や牧師が使うプロ用の聖書には、必ず引照がついています。
 獄中では、旧約聖書の「ヨブ記」が私自身の心象風景といちばん合致しました。神が悪魔の挑発を受け入れて、ヨブを不幸のどん底に落とします。しかし、ヨブは神を恨みません。最後は、神もヨブの「正しさ」を認め、悪魔を追い払います。もっとも政治事件に巻き込まれたユダヤ・キリスト教文化圏の人々が自らをヨブと重ね合わせるということは、ごく普通の現象です。
 獄中では、聖書を読むとともによく祈りました。そして、512泊513日の独房生活を終えて、東京拘置所から保釈になった後も私はよく祈るようになりました。

 

※この連載へのご意見、ご感想、またキリスト教神学に関して佐藤優さんに聞いてみたいことなどありましたら、件名に「佐藤優さん」とご記入のうえ、webmagazine@heibonsha.co.jpまで、お寄せください(件名が無題の場合、無事にお届けできない場合がございますので、ご注意ください)。 

 

 

 

 

 

(2008年1月30日更新)
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佐藤優
写真提供=共同通信社
【著者略歴】
1960年生。起訴休職外務事務官・作家。同志社大学神学部卒業。同大学院神学研究科終了。緒方純雄教授に師事し、組織神学を学ぶ。1985年に外務省入省。在英日本国大使館、ロシア連邦日本大使館などを経て、外務省本省国際情報局分析第一課に勤務。外交官として勤務するかたわら、モスクワ国立大学哲学部客員講師(神学・宗教哲学)、東京大学教養学部非常勤講師(ユーラシア地域変動論)を務める。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕。2005年2月、執行猶予つき有罪判決を受け、現在上告中。『自壊する帝国』(新潮社)で第38回大宅壮一ノンフィクション賞、並びに第5回新潮ドキュメント賞、『国家の罠』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞を受賞。『私のマルクス』(文藝春秋)、『獄中記』(岩波書店)など著書多数。

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